パリ · 建築
光の聖所を支える十二使徒
サント・シャペル · パリ, フランス
ステンドグラスから少し目を離して、窓と窓の間の壁にある、細い柱の束を見てみましょう。天井のアーチを支えるこの柱の一本一本に、人の背丈ほどの彫像が一体ずつ付いています。数は全部で12体です。イエスの十二人の弟子、十二使徒を柱に配したものです。中世の神学者たちは、教会の建物を支える柱を、教会共同体を支えた使徒たちになぞらえました。「使徒は教会の柱である」。この聖堂は、そのたとえを文字どおり建築にしたのです。
13世紀には、これは大胆な選択でした。それまで使徒像は、聖堂の外側や正門の入口に立てるのが普通でした。ノートルダム大聖堂もそうです。ところがサント・シャペルは、使徒たちを内側へ、光の空間へ迎え入れました。のちに多くの聖堂がこの配置にならったといわれています。
ところが、これらの彫像には本物と偽物が混ざっています。1797年のフランス革命の際、この聖堂が書類の倉庫として使われ、使徒像は台座から引き剥がされました。2体はその場で砕け、床の舗装の下に埋もれてしまいます。1830年の再びの革命では、使徒像4体が首を切り落とされました。切り落とされた頭は、信心深い老婦人がひそかに拾って保管していたといわれます。1840年代、修復建築家デュバンが散らばった彫像を再び集めましたが、首のない4体と砕けた2体、あわせて6体は損傷がひどすぎて、元の位置に戻せませんでした。そこでこの6体は石膏で複製を作って据え、本物の原作はクリュニー中世美術館に送られました。
つまり、今ご覧になる十二使徒のうち、6体は800年前の13世紀のオリジナル、6体は19世紀に作られた石膏の複製です。しかも現地では、どれが本物なのかほとんど見分けがつきません。修復の際に、すべて同じ19世紀のロマン主義風に、色鮮やかに塗り直されたからです。
さらに興味深いのは、使徒たちがもともと手にしていた持ち物、ペトロの鍵やパウロの剣といった持物が、ほとんど失われていることです。そのため、研究者でさえどの像がどの使徒なのか、正確には分かりません。革命後、原作と複製は順不同に据え直され、元の位置を記した文書もないからです。ただ一人、確実に見分けられる使徒がいます。ひげのない若々しい顔立ちの青年、使徒ヨハネです。バラ窓の黙示録の著者です。いちばん若い顔を探せば、それがヨハネです。
彫刻の腕前にもご注目ください。入口側へ行って聖堂全体を眺めると、使徒たちの様式が少しずつ違うのが分かります。ある使徒は衣のひだがとても柔らかく、表情も穏やか。これは当時最高の工房、ノートルダム大聖堂の正門を手がけたまさにその彫刻家たちの様式です。別の使徒は、衣のひだが刃物のように深く刻まれています。ほかの工房の手によるものです。少なくとも二つ三つの工房が同時に作業していたということです。
最後にもう一つ。何人かの使徒の近くの壁を見ると、丸い円盤に十字が刻まれたものがあります。献堂十字と呼ばれ、聖堂を献堂する際に司教が聖油を塗った場所を示すものです。使徒と献堂十字が一緒にあることは、この使徒たちが聖なる家を守っているというしるしです。
こうして、この光の聖所を支える十二使徒をご覧いただきました。