パリ · 建築
下部礼拝堂
サント・シャペル · パリ, フランス
扉をくぐる前に、ひとつだけお話ししておきましょう。この場所は、13世紀にはフランス王の王宮でした。サント・シャペルは、王が自らの屋敷の中庭に建てた私的な礼拝堂だったのです。シテ島は2000年前にパリが始まった場所でもあります。つまり私たちは今、パリの心臓部のなかでも、もっとも深い心臓の中に立っているわけです。
正面入口を抜けると、思いのほか暗く、天井の低い空間が迎えてくれます。ここが下部礼拝堂です。聖母マリアに捧げられた空間で、入口を入るときに中央の柱に立っていた大きな聖母マリア像が、下部礼拝堂の守護聖人です。上の上部礼拝堂が荊冠、つまりキリストの受難に捧げられているのに対し、下の階はその母マリアに捧げられています。まるで母が息子を支えているような構造です。しかも、この建物の本当の後援者は、ルイ9世の母、ブランシュ・ド・カスティーユだったともいわれます。母マリアから母ブランシュへ。二人の母の思いが、この空間に重なっているかのようです。
13世紀、ここで礼拝を行っていたのは、王宮で働く侍従や使用人、衛兵など70人余りでした。上階で王族が礼拝を行う間、下の階の人々は、ここで慎ましいミサをあげていたのです。
まず、天井を見上げてみてください。深く濃い青の上に、金色の星が散りばめられ、真夏の夜空のようです。よく見ると、それは星ではなく、小さな百合の形をした金色の文様です。フランス王家の象徴である百合の花が、星のようにちりばめられているのです。その合間には、カスティーリャ家の象徴である城の文様も入っています。側面の壁には、小さな丸いメダイヨンが12個あり、それぞれにイエスの十二使徒が一人ずつ描かれています。ただし、このメダイヨンも天井も、13世紀のオリジナルではありません。1690年の大洪水が下部礼拝堂をまるごと襲い、当初の装飾はほとんど失われてしまいました。19世紀の修復の際に、画家ルイ・シュタインハイルが13世紀の彩色写本を参考に、1845年から描き直したものです。
続いて、この空間を支える太い柱のほうへ行ってみましょう。森のように林立するこの柱こそ、建物全体を支える本当の主役です。葦のように細く優美な上階の柱とは対照的に、下の階の柱はずっしりと太くたくましい。上階全体の重みをすべて受け止めているからです。階下にしっかりした骨格があるからこそ、上階の軽やかさが可能になりました。
柱は太いだけではありません。天井が始まる柱の上部には、フランス語で「シャピトー」と呼ばれる装飾、すなわち柱頭があります。非常に精巧で、葉、茎、つぼみといった植物のモチーフがびっしりと刻まれており、学者たちはこれを「13世紀イル=ド=フランスの植物図鑑」と呼ぶほどです。下部礼拝堂の中だけで柱頭は約140個あり、その形はすべて異なります。13世紀の名もなき彫刻家たちが、一人ひとり数日をかけて、140種類もの植物を丹念に刻んだのです。800年前にパリ近郊で育っていた、オークの葉、ブドウの蔓、バラのつぼみ、クローバー、シダなどです。
下部礼拝堂のいちばん奥には、半円形に丸く囲まれた奥まった空間があります。穏やかな表情で手を掲げて立つ白い大理石の像は、この物語の主人公、聖王ルイです。19世紀の修復の際に作られたこの像は、華やかな王服も輝く王冠も身につけず、ごく普通の聖人の姿で、やわらかく手を挙げて私たちを迎えてくれます。ルイ9世が生きていた頃、人々は彼を「ル・プリュドム」、すなわち思慮深く賢明な人と呼んでいました。
その横の出入口の上には、絵が描かれています。1690年の洪水を生き延びた、13世紀のオリジナルの壁画の一部です。大天使ガブリエルがマリアに神の子を身ごもると告げる、受胎告知の場面です。
それでは、入ってきた入口側の隅にあるらせん階段から、2階へ上がりましょう。












