サント・シャペル · 4/22

パリ · 建築

聖遺物箱グランド・シャス、革命と復活

サント・シャペル · パリ, フランス

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上階の東端、いちばん奥に、小さな壇がひとつあります。今は空っぽですが、この空白こそ、礼拝堂でもっとも多くの物語を秘めた場所です。800年前、この礼拝堂の「心臓」が据えられていた場所だからです。

その心臓の名は「グランド・シャス」、日本語にすれば「大聖遺物箱」。背の高い大人より頭ひとつ分は高い約2.6メートルの高さで、銀と金メッキの銅で作られ、全体が黄金色にきらめいていました。とがった尖塔や小さなアーチまで備えた、それ自体がひとつのゴシック聖堂のような造りで、サント・シャペルの中心に、サント・シャペルのミニチュアが立っていたようなものです。この中には、荊冠、真の十字架の断片、聖槍の先端、キリストの血に染まった布など、受難にまつわる聖遺物が約22点納められていました。

荊冠の本当の姿は、意外に思われるかもしれません。恐ろしいトゲのついた王冠ではなく、葦の茎を丸く編んだ直径21センチの輪です。トゲは長い歳月のなかで一本ずつ抜かれ、贈り物としてヨーロッパ各地に散っていきました。毎年聖金曜日には、グランド・シャスから荊冠を取り出してお見せする儀式が行われ、この日だけは庶民も上階に上がることができたそうです。生涯でただ一度、荊冠の前に立てる機会だったのです。

悲劇が訪れたのは1791年。フランス革命のさなか、怒れる群衆が重厚なグランド・シャスを引きずり下ろしました。壊すだけでは終わらず、丸ごと溶かして銀と銅を回収していったのです。幸い、中に納められていた荊冠は難を逃れました。革命軍でさえ、この葦の輪には手を出せなかったのです。その後、荊冠はノートルダム大聖堂に移され、2019年の火災の夜、人々が命がけで真っ先に救い出したのも、この荊冠でした。現在は再開したノートルダムに安置されています。つまり、上階の空の壇と荊冠は、同じ島の中で、徒歩5分ほどの距離を隔てて存在しているのです。

主を失ったこの建物は、その後どうなったのでしょうか。いちど死に、そして蘇ります。革命軍にとって、ここは王の信仰と贅沢の象徴であり、格好の標的でした。尖塔は崩され、彫刻は斧で砕かれ、百合の紋章は削り取られました。その後、この宝石箱は書類倉庫に使われます。35年間、隣の裁判所の行政書類を積み上げておくキャビネットのような扱いでした。書類棚を取り付けるために、下部2メートルのステンドグラスがごっそり外され、13世紀のオリジナルのガラスはイギリスの美術市場へ流れ、散逸してしまいました。

この建物を救ったのは、軍隊でも王でもなく、作家たちでした。ヴィクトル・ユゴーをはじめとする19世紀の芸術家たちが中世の美を再発見し、「こんな宝を朽ちさせるなどあり得ない」と世論を動かしたのです。そして1840年、政府がついに決断します。修復は30年近くに及び、これに携わったヴィオレ・ル・デュクは、のちにノートルダムの修復も任されました。こうして、一度は死んだ建物が蘇ったのです。

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