パリ · 建築
ゴシック、光の革命
サント・シャペル · パリ, フランス
「ゴシック」という言葉から、暗い聖堂や黒い服、陰鬱な雰囲気を思い浮かべる方は多いかもしれません。けれども、この様式はまったくの正反対。実は、人類の歴史上もっとも明るく、光にあふれた建築なのです。「ゴシック」という名前にも隠された由来がありますが、それは後ほどお話ししましょう。
物語は、1140年頃、パリ北方のサン・ドニ修道院で始まります。修道院長シュジェールは、ある神学書を繰り返し読むうち、ひとつの言葉にとらわれました。神は光である。ならば、暗い石の家に神を閉じ込めておくことはできない、と。問題は技術でした。当時の教会はどれも、重い天井を支えるために厚い石壁を必要とし、壁が厚いほど、内部は暗くなったのです。シュジェールは問いかけます。どうすれば壁を減らし、その分を光で満たせるだろうか。
石工たちは、それまで別々に使われていた3つの技術をひとつに束ねました。重さを一点に集める尖頭アーチ、天井の重みを肋骨のように分散して流す石の骨組み(リブ・ヴォールト)、そして外へ押し出される力を外側から受け止める控え壁(バットレス)です。この3つがひとつの建物で出会ったとき、壁はもはや重さを担う必要がなくなりました。壁を取り払った場所に窓を設け、そこに色ガラスをはめ込めば、光を色に変えて取り込めるようになったのです。1144年、シュジェールの新しい聖堂が献堂されます。人類がかつて見たことのない、光でつくられた建築でした。人々はこれを「フランスの作品」と呼びました。
それから100年のあいだ、ヨーロッパでは少し不思議な競争が繰り広げられます。壁をもっと減らせ、窓をもっと大きくせよ、光をもっと取り入れよ。こうしてノートルダム、シャルトル、ランス、アミアンなどの大聖堂が次々と建ち、シャルトルの窓はノートルダムより、ランスはシャルトルより、アミアンはランスよりも大きくなっていきました。
1230年代、物語の出発点であるサン・ドニ修道院が建て替えられるなかで、名もなき建築家が決定的な一歩を踏み出します。上部の壁をほとんど取り払い、そこに窓をまるごとはめ込んだのです。学者たちはこれを新様式の始まりと見ています。「レヨナン」、つまり「光を放つ様式」と呼ばれるものです。そして1240年代、その系譜を継ぐ誰かが、最後の限界に挑みます。壁の75パーセントをガラスに置き換えた、これ以上は進めない究極の姿。それが、このあと上っていくサント・シャペルの上部礼拝堂です。
お約束した名前の由来はこうです。13世紀の人々は、この様式を「ゴシック」とは呼んでいませんでした。この名は、300年後のルネサンス期にあるイタリアの評論家がつけた呼び名で、「ゴート族、つまり野蛮人が作りそうな様式」という嘲りの意味が込められていました。「神は光である」という言葉と3つの技術で光の建築を生み出した革命にとっては、気の毒な名前です。
ここで疑問が残ります。壁をほぼなくしたのに、細い石の柱だけで、どうしてあの重い天井と屋根を支えられたのでしょう。そしてこの建物には、なぜほかのゴシック聖堂のような大きな控え壁がないのでしょうか。その秘密は後ほど明かすことにして、まずは外から、建物の顔である外観と尖塔に会いに行きましょう。








