パリ · 絵画
マリー=テレーズとの秘密の出会い
ピカソ美術館 · パリ, フランス
『女性の胸像(マリー=テレーズ)』のモデル、マリー=テレーズは、ピカソが妻オルガと息子パウロを裏切って密かに会っていた、次の恋人です。二人が出会ったとき、ピカソは46歳、マリー=テレーズは17歳でした。オルガの浪費ぶりに疲れたピカソが、正反対のタイプに惹かれたのでしょうか。マリー=テレーズは美しく、水泳などのスポーツを好む健康的な魅力にあふれ、年齢相応の無邪気さも持ち合わせていたといいます。当時のピカソは、名前を聞けば誰もが知っているほどの有名人でしたが、彼女は美術にはまったく疎く、彼が大画家であることもよく知らなかったそうです。
二人の出会いについては、のちにマリー=テレーズ自身が、1968年の記事でこう振り返っています。「ピカソに出会ったとき、私は17歳でした。世間知らずでおてんば、人生のことも、ピカソのことも何ひとつ知りませんでした。ギャラリー・ラファイエットへ買い物に行った私が地下鉄から降りてくるところを、ピカソが見かけたのです。彼は私の腕をつかんで言いました。『私はピカソだ。君と私は一緒に素晴らしいことをするんだ』と」。ピカソの自信と、マリー=テレーズの純真な人柄がうかがえるエピソードです。はじめは、年上の画家からのアプローチを断っていた彼女でしたが、何度か言葉を交わし、彼の作品に触れるうちに少しずつ心を開き、約半年後に彼を受け入れました。18歳の誕生日、つまり成人を迎えた日には、ピカソが小さな住まいを用意したといいます。
マリー=テレーズを描いた胸像や絵画は数多く残されています。代表作が『夢』です。椅子に腰かけ、頭を垂らして穏やかに目を閉じる姿から、ピカソが彼女をどう見ていたかが読み取れます。実際、彼女はとてもおとなしく従順な性格だったそうです。二人は当初、徹底して秘密のうちに会っていました。マリー=テレーズは、ピカソがすでに結婚していると知りながらも「また会おう」という約束を受け入れ、家族には友人に会いに行くと言って彼のもとへ通ったといいます。これはすべて彼女がインタビューで語った話です。のちに関係が明らかになると、嫉妬深いオルガは激高し、ピカソに怒鳴り散らして怒り続けました。オルガは離婚に応じなかったため、マリー=テレーズの存在を知ったあとも、ピカソとオルガはそのまま一緒に暮らしていました。
この時期にまつわる、もうひとつの意外な作品があります。『浜辺で球技をする人々』で、現在はパリのピカソ美術館が所蔵しており、2階で鑑賞できます。描かれた1928年の夏、ピカソはオルガとともにブルターニュ海岸のディナールで休暇を過ごしていました。ところがこのとき、ピカソはマリー=テレーズをひそかに呼び寄せ、浜辺の小屋を逢瀬の場所にしていたのです。当時の状況は、作品の中にきわめて直接的に描かれているといいます。飾りのついた花を手に遊ぶ女性が、はしゃぎながら浜辺を駆けていて、中央の男性は近くの小屋で別のボールを使って曲芸をしています。その小屋こそ、マリー=テレーズがいた場所です。ピカソの作品が「日記のよう」「自伝のよう」と言われるのは、こうして私生活をはばかることなく作品に表した例が多いからです。アンリ・マティスをはじめ、私生活と作品を切り離そうとした芸術家もいましたが、ピカソはまったくそうではありませんでした。
この三角関係は、マリー=テレーズがピカソの子を身ごもったことで幕を下ろします。生まれた娘マヤは、ピカソにとって二人目の子どもでした。すっかり娘を溺愛するようになったピカソは、マヤを数多くキャンバスに描きました。おとなしい恋人とかわいい娘との幸せな時間を過ごしていたピカソでしたが、やがてまた別の女性と出会います。マリー=テレーズは若く美しいけれど、従順で純真なところが物足りなくなったのでしょうか。ピカソは、より知的で、はっきりとものを言い、自分の意見をしっかり持った女性に惹かれていきます。その人物については、次の作品でお話しします。