パリ · 街歩き
『レ・ミゼラブル』をめぐるパリ散歩
パリ · パリ, フランス
ヴィクトル・ユゴーの時代を超えた傑作であり、ミュージカルとしても愛される『レ・ミゼラブル』。「Les Misérables」とはフランス語で「貧しい人々、哀れな人々」を意味します。極度の貧困のなかで虐げられた民衆の苦しみと、人間の尊厳を描いた小説です。ミュージカルの代表的なナンバーには、怒れる民衆が「二度と奴隷のようには生きない」と声を上げ、輝く明日を夢見る歌があります。
物語の背景は、1832年6月に起きた民衆蜂起です。1789年のフランス革命を思い浮かべる方が多いかもしれませんが、実際にはその43年後の出来事。学生や労働者が中心となったこの小規模な革命は、富裕層と貧困層の格差が深まる経済危機のなかで起こり、民衆の希望だった進歩的な政治家ラマルク将軍の死が引き金となりました。
作中の「哀れな人々」といえば、ジャン・バルジャン、ジャベール、マリウス、コゼットです。ジャン・バルジャンは正義、犠牲、救いの象徴。飢えに苦しむ甥や姪のためにパンを一つ盗んだ罪で十数年を獄中で過ごしたのち、名前を変え、赦しと変化を通して善良な人生を歩みます。ジャベールは氷のように冷たい、法の絶対視者ともいえる警部で、「一度罪を犯した者は永遠に罪人」と信じ、ジャン・バルジャンを最後まで追い続けます。マリウスはよりよい社会への希望に命を燃やす青年。コゼットは幼いころ搾取され抑圧されながらも、ジャン・バルジャンの庇護のもと、愛と希望をもって世の中に立ち向かい、マリウスとともに未来を夢見ます。
ミュージカル『レ・ミゼラブル』は、1980年9月にパリで初演されました。その5年後、『キャッツ』のプロデューサーとしても知られるイギリスの製作者キャメロン・マッキントッシュがロンドンで英語版を上演し、世界中で愛され続ける作品となりました。ミュージカルをあまり観ない方にとっても耳なじみの曲が多く、2012年にはヒュー・ジャックマンとアン・ハサウェイ主演で映画化も。
それでは、物語の舞台となった実際のパリへ出かけましょう。旅の始まりはチュイルリー公園です。1832年6月5日、日差しあふれる日のこと。30代の若き作家ユゴーは、ここのベンチに座って執筆していました。そこへ突然の銃声。ユゴーは家へ帰らず、音のしたレ・アル(Les Halles)の方向へ向かいます。ところがバリケードに囲まれて身動きが取れなくなり、両側から銃弾が飛び交うなか、なんとか柱の陰に身を隠しました。この体験をもとに、約10年後に執筆を開始。約20年をかけた『レ・ミゼラブル』は1862年に刊行され、歴史に埋もれかけていた6月蜂起に再び光を当てることになりました。
現在のレ・アルは、洗練された活気にあふれるショッピングと文化の中心地です。しかし当時は、商人の呼び声や蹄の音、食べ物の匂いが入り混じる雑然としたエネルギッシュな市場で、パリの庶民の暮らしがそのまま息づく場所でした。「バリケードへ行け!」という革命家たちの叫びが響いたのも、まさにここです。ちなみに、「バリケード」はフランス語(barricade)で、樽を意味する「バリック」が語源。樽は運びやすい利点がありましたが、王政復古後の市民革命期には資源が乏しく、高価な樽の代わりに椅子や机などの家具を積み上げてバリケードを作るようになったといわれています。ミュージカルでも、椅子や荷車の車輪などを荒々しく積み上げ、頂上に赤い旗をなびかせて、市街戦の緊張感とエネルギーを舞台上に力強く再現します。
レ・アルの近くには、デモを率いたマリウスとアンジョルラスが属する秘密結社「ABCの友」の拠点もありました。ABCはフランス語で「アベセ」と読み、よく似た発音の「Abaissé」は「卑しめられた者たち」を意味します。つまり「ABCの友」は、虐げられた人々の友という意味になるのです。ミュージカル第1幕の「ABCカフェ/レッド・アンド・ブラック」の場面では、集まった青年たちが自分の命よりも世の中のための戦いが大切だと誓い、赤は怒れる民衆の血、黒は暗かった過去を表すと歌います。
シテ島は、セーヌ川の真ん中に浮かぶ小さな島です。ノートルダム大聖堂のほか、フランスの司法の中枢であるパリ裁判所(Palais de Justice)、マリー・アントワネットが収監されていた旧監獄コンシェルジュリー(Conciergerie)もこの島にあります。6月蜂起のさなか、ジャベールは宿敵ジャン・バルジャンに命を救われ、生涯守り続けてきた信念が崩れるのを経験し、やがて自ら生涯を閉じます。その葛藤の舞台となったのが、シテ島一帯です。
バリケードでの市街戦で重傷を負い意識を失ったマリウスを、ジャン・バルジャンが肩に担いで逃れた先は下水道でした。下水道は「パリの下のパリ」とも呼ばれます。地下にも地上と同じ名前の通りがあり、鏡の裏側や影のようによく似ているからです。狭く暗く、匂いのこもる入り組んだ通路は、当時の社会の不条理や抑圧、そして弱い人々を利用して富を築く者たちを暗示しているようにも見えます。ガストン・ルルーの小説『オペラ座の怪人』で怪人がクリスティーヌを連れていく地下世界も、パリの下水道に着想を得たといわれています。かつては隠れた危険や汚れの象徴だった下水道も、今ではパリの重要なインフラであり、歴史的遺産として評価されています。
エッフェル塔の近く、セーヌ川沿いにはパリ下水道博物館があります。意外に思われるかもしれませんが、パリの下水道は昔から観光名所でした。ユゴーの時代には、ボートや小さな馬車に乗って見学することもできたそうです。今ではそうした体験はありませんが、館内では下水道の通路を歩きながら、その建設の経緯や仕組みを知ることができます。地下は寒く、下水特有の匂いもあるので、上着とマスクを持っていくのがおすすめです。
最後に、コゼットとマリウスの恋物語ゆかりの2か所をご紹介します。ジャン・バルジャンの養女コゼットは、彼と一緒にリュクサンブール公園(Jardin du Luxembourg)をよく散歩していました。マリウスはここで偶然コゼットを見かけ、ひと目で恋に落ちます。その後、二人はバロック様式の美しいサン・ポール・サン・ルイ教会(église Saint-Paul-Saint-Louis)で結婚式を挙げました。ユゴーもこの教会が好きだったようで、実際にユゴーの娘も同じ教会で結婚式を挙げており、ユゴーが寄贈した聖水盤は今もそこに残っています。
パリのシャトレ座でミュージカル『レ・ミゼラブル』を観ると、国籍を問わず涙をぬぐう観客の姿に出会えます。この作品が今なお多くの人の心をつかむのは、ユゴーの原作の登場人物たちがもつ普遍性ゆえでしょう。抑圧に立ち向かい、自らの価値観と信念のために進んで戦う人々の姿は、これからも私たちの心を熱くし続けるはずです。


