パリ · 街歩き
万国博覧会 ― パリを変えた最大のイベント
パリ · パリ, フランス
万国博覧会は、ベル・エポック期最大のイベントであり、今日の世界博覧会へとつながる催しです。現在のパリを屈指の観光名所にしている数々の建築物や、フランスの人々の日常に溶け込んだ空間も、この博覧会をきっかけに生まれました。
フランスの昔からのライバルは、約千年にわたって敵対関係にあったイギリスで、この競争意識が万国博覧会の始まりとなりました。当時のヨーロッパは日々産業化が進んでおり、産業革命と産業化を最初に成し遂げたのはイギリスでした。フランスもイギリスに後れを取るまいと急速に産業化を進め、競争力を備えると、それを世界に示したくて博覧会の準備を始めます。ところが、フランスが世界初の万国博覧会を準備していると聞いたイギリスが「世界初」の称号をさらっていきました。1851年、ロンドンのハイド・パークに「クリスタル・パレス(水晶宮)」を建てて、世界初の万国博覧会を開催したのです。負けじとフランスは、1855年と1867年の二度にわたって万国博覧会を開催します。水晶宮に対抗するためにシャンゼリゼ通りに似た建築物まで建てましたが、イギリスほどの人気は得られませんでした。プライドを傷つけられたフランスが再び準備を重ね、実を結んだのが、フランス革命100周年を記念して開かれた1889年のパリ万博です。このとき、水晶宮のことなど忘れさせるほどインパクトのある建築物、エッフェル塔が登場しました。当初は、新しく改造された街の景観を損なうと反対する人も多かったのですが、ロンドンの水晶宮に勝つためにはこれくらいの革新は受け入れなければならない、というイギリスへの競争意識が反対を押し切ったといわれます。
フランスは、イギリスとの差別化という点でも博覧会を工夫しました。フランスが優れているもの、イギリスに足りないものを紹介したのです。芸術の都にふさわしく会場に美術品を展示し、美食の国らしくボルドーワインも並べました。このとき展示された美術品は約5,000点で、専用の展示館があったほどです。イギリスのヴィクトリア女王が訪れて鑑賞していったそうです。こうした企画で成功を収めたフランスは、1900年、新世紀を記念して再びパリ万博を開催します。このときに誕生したのが、グラン・パレ、プティ・パレ、そしてパリで最も美しい橋といわれるアレクサンドル3世橋です。
万国博覧会は進歩した技術力をアピールする場だったため、各国は競って発明品を展示しました。代表的なものは電話、電灯、飛行機、自動車で、今も私たちの暮らしに最も身近な発明品がこのとき登場しました。文化の優秀さを示し分かち合う場でもあったので、多くの国が独自の展示館を設けました。韓国も1900年のパリ万博で初めて韓国館を開設し、農業部門で賞を受け、伝統音楽が大きな関心を集めました。ガイドは、この伝統音楽がK-POPにつながったのではないか、と話します。
博覧会で人々は、美しく飾られた展示館を歩きながら、初めて見る商品を眺め、さまざまな文化に触れました。歩きながら商品を見る体験は、博覧会を小さくしたデパートに似ています。博覧会で生まれた新商品への関心は、パリに世界初のデパートを誕生させました。現在もパリ7区にあるボン・マルシェがその主役です。新商品やファッションへの関心が高まるなか、デパートを見て回り、ショッピングを楽しむことが一つの流行になりました。また、大勢の人が集まったことで、新しい公共交通機関も登場しました。今も足元を走る地下鉄です。1900年のパリ万博に合わせて開通し、グラン・パレやプティ・パレなどの会場へ人々をスムーズに運びました。
イギリスと肩を並べる水準であることを示すために始まった博覧会は、エッフェル塔のような建築物だけでなく、電話や電灯といった新製品、デパートや地下鉄といった新しい暮らしまで生み出しました。ベル・エポック最大のイベントといわれる理由です。次は、1900年の万国博覧会の会場として使われたグラン・パレとプティ・パレです。




