パリ · 街歩き
ルーヴル美術館の外観とガラスのピラミッド
パリ · パリ, フランス
ルーヴル美術館は、ロンドンの大英博物館、バチカン美術館とともに、世界三大博物館のひとつに数えられます。このガイドでは、館内ではなく、ルーヴルという場所そのものに焦点を当て、二つの章に分けてお話しします。第2章はルーヴルの歴史と美術館誕生の過程をめぐる論争を扱いますので、外観をひととおりご覧になったら、そのまま次の目的地へ進んでいただいてもかまいません。
ルーヴルといえば、まず思い浮かぶのが目の前のガラスのピラミッドです。エジプトの象徴であるピラミッドが、なぜパリの真ん中にあるのでしょうか。設計したのは、中国系アメリカ人の建築家I.M.ペイ。ミッテラン大統領の「グラン・プロジェ」のうち「グラン・ルーヴル」事業を担い、ルーヴルの入口をガラスのピラミッドとして設計しました。「エジプトの死の象徴をなぜ建てるのか」という反対もありましたが、ピラミッドには多くの財宝が眠り、永遠の象徴でもあることから、ルーヴルに収められた作品はフランスの宝であり、ルーヴルが永遠であってほしいという願いを込めて、ピラミッドの形が選ばれました。
グラン・プロジェは、1981年にミッテランが大統領に当選したことで始まりました。パリが文化と芸術の中心から外れつつあると感じたミッテランは、文化による都市革新事業「グラン・プロジェ」を進め、古びて見捨てられていた場所をよみがえらせました。廃駅を美術館に変えたオルセー美術館、国立図書館、ラ・デファンスなど、現在のパリの多くの文化施設がこの政策によって生まれ変わりました。ガラスのピラミッドの建設とルーヴルの改造事業も、「グラン・ルーヴル」の名のもとに進められたものです。
当時のルーヴルは、今のように来館者でにぎわう場所ではありませんでした。特にパリ市民やフランス人に敬遠されており、その理由は複雑な構造にありました。入口を見つけるのも大変で、代表作を数点見に行くだけで1時間30分もかかったのです。I.M.ペイは、ルーヴルの地下空間を通路として活用し、歴史的な建物を損なうことなく、素早く便利な動線を確保しました。地下に案内スペースや休憩スペースまで設け、地下通路そのものを美術館の入口としたのです。ところが、入口が地下にあると見つけにくくなります。そこで、地上のどの方向からでも目に入る建築物が必要となり、その形としてピラミッドが選ばれました。暗い館内を明るく照らし、地下通路の息苦しさをやわらげるため、ガラスで造られています。
ガラスのピラミッドの周辺、カルーゼル凱旋門の方向には、太陽王ルイ14世の像があります。彼が太陽王と呼ばれた理由は、絶対王政を率いたからだとよく言われますが、実は趣味のバレエが理由だといいます。ルイ14世は、1日2時間のバレエの練習をし、自ら公演にも出るほどのバレエ好きで、初めての公演で演じたのが太陽神アポロンの役でした。これをきっかけに「太陽王」と呼ばれるようになったそうです。
ルーヴルの話を聞くだけでも、フランスがなぜ文化大国なのかが分かります。グラン・ルーヴル政策が実施された最大の理由は、フランスの市民があまり訪れないことでした。フランスは、美術館を通じて人々が文化や芸術を身近に感じられるようにし、芸術への親しみを深め、自分の好みをよく知らない一般の人にあらゆるジャンルの芸術に触れる機会を与えることで、文化的な素養を呼び覚ますことを目指しています。市民が足を運ばない状況に、大統領自らが乗り出して文化と芸術を奨励した点に、フランスが芸術の分野で先を行く理由が見えてくるようです。






