パリ · 建築
パンテオンが「対立の場」と呼ばれる理由
パンテオン · パリ, フランス
歴史家のモナ・オズーフは、パンテオンを「フランス人同士が衝突する場所」と評しました。フランスの英雄たちが最後に眠る場所が、なぜ「衝突の場」なのでしょうか。誰がここに祀られるにふさわしい偉人なのかをめぐって、議論が続いてきたからです。
1791年、パンテオンが教会から国立の墓所になったとき、誰を祀るかを決める権限は議会にありました。議会は、フランス革命の精神を受け継ぎ、自由・平等・博愛といった共和国の価値に身を捧げたか、祖国フランスを輝かせたかを基準にしました。しかし、価値というものは、すぱっと割り切って評価できるものではありません。どんな行動や功績が共和国の価値を体現したといえるのかは、見方によって変わります。議会では、政治的な立場や個人の信念によって、安置をめぐる激しい論争がたびたび繰り広げられました。
最初に祀られたミラボー伯爵でさえ、論争を免れませんでした。祀られておよそ1年後、ルイ16世が裁判にかけられることになり、その過程で、ミラボー伯爵がルイ16世とともに革命を抑え込もうとしていたことを示す文書が見つかったのです。平民の側に立って声を上げた革命の指導者であり、「革命の父」と呼ばれた人物でしたが、王と結んで革命を抑えようとしていたことが明らかになると、1794年、パンテオンに祀られる資格はないとの判断が下され、別の共同墓地へ移されました。そのため、今のパンテオンでミラボー伯爵の棺を見ることはできません。以来、こうした検証を行うため、少なくとも死後10年を経なければ安置できないという慣例が生まれたといわれています。
こうした厳しい審査を経て、これまでにパンテオンに祀られた人物は約80人。200年あまりで80人あまりという数字から、資格がいかに厳しく問われてきたかがうかがえます。1958年に、安置者を決める権限が議会から大統領へ移ると、議員の意見よりもフランス国民全体の世論が重んじられるようになりました。大統領は首相の提案に基づいて安置者を決め、首相は社会のさまざまな団体から候補の推薦を受けます。その過程で、その人物が祀られるにふさわしいかどうかの世論が形づくられ、大統領はそれを踏まえて最終的に承認するかどうかを決めます。偉人の棺がパンテオンに移される日には、フランスは故人をたたえる思いで一つになります。
文章で、言葉で、行動で、共和国の価値を体現したと認められた人々が、ここに眠っています。芸術家、思想家、政治家、軍人、科学者。18世紀から現代まで、フランスを輝かせてきたさまざまな偉人たちです。
パンテオンには、約200基の棺を納められるといいます。これからどんな偉人が祀られるのか、そしてあなたは誰を偉人と呼ぶにふさわしいと思うでしょうか。パンテオンで偉人たちの棺を実際に見て、その物語に耳を傾けながら、偉人の条件についてじっくり考えてみてください。


