オペラ・ガルニエ · 11/33

パリ · 建築

ナポレオン3世様式とは

オペラ・ガルニエ · パリ, フランス

オペラ・ガルニエ
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オペラ・ガルニエを設計したのは、当時35歳の無名の新人建築家、シャルル・ガルニエです。今でも彼の名にちなんで「オペラ・ガルニエ」と呼ばれています。ナポレオン3世とオスマン男爵は、新しいオペラ劇場の建設を決め、建築家を選ぶためのコンペを開きました。応募者はなんと171人。名だたる建築家たちを抑えて選ばれたのが、ガルニエでした。

最大の理由は、ナポレオン3世の望みを的確にとらえた設計案を示したことです。一次審査の時点では、ガルニエは171人中5位。決して低い順位ではありませんが、最終的に選ばれるのは1人だけなので、気が気でない状況でした。それでも二次審査で、修正した設計案によって見事に選出されたのです。

ここには、面白い逸話が伝わっています。当時の皇后は、自分が支援していた有名建築家ではなく、無名の新人が選ばれたことに腹を立て、ガルニエのもとを訪れて「これはいったい何様式なの? ルイ14世様式でも、ルイ15世様式でも、ルイ16世様式でもないじゃない」と詰め寄ったといいます。バロック(ルイ14世)にも、ロココ(ルイ15世)にも、新古典主義(ルイ16世)にも当てはまらない、さまざまな様式をごちゃ混ぜにしたものではないか、という皮肉でした。これに対しガルニエは、「これはナポレオン3世皇帝の様式です。それでもお気に召しませんか?」と機転を利かせて答えたそうです。真偽のほどは定かではない逸話ですが、気の利いた返答であることは間違いありません。

この返答は、単なるお世辞ではありません。ナポレオン3世の望みを正確に理解していたことの表れでした。ガルニエは、当時ナポレオン3世が建設中だったルーヴル宮の新館を見て、皇帝の建築の好みを読み取ったのです。ナポレオン3世がルーヴル宮を拡張して建てた新館は、屋根の勾配が二段に折れた独特の形をしています。これはマンサード屋根と呼ばれ、ルイ14世の王室建築家マンサールが考案したことから、この名がつきました。屋根の下の外壁には華やかな彫刻が随所に施され、屋根を中心に左右には小さな塔が並んでいます。こうした建築様式がナポレオン3世様式、またはネオ・バロック様式と呼ばれるもので、ガルニエはこのネオ・バロック様式を取り入れてオペラ・ガルニエを設計しました。

ネオ・バロックを見る前に、まずバロックとは何かを確認しておきましょう。バロック様式は16世紀のイタリアで始まりました。15世紀に流行したルネサンス様式が、プロポーションと左右対称を重んじる、型にはまった様式だったのに対し、バロックは決まった型に従うよりも、大胆で躍動的、そして華やかな様式です。外観は巨大で壮大なうえ華麗な彫刻で飾られ、室内は金色の装飾で彩られるのが特徴です。ルネサンス建築の代表であるイタリア・フィレンツェのドゥオーモと、バロック建築であるバチカンのサン・ピエトロ大聖堂の写真を見比べれば、その違いが感じられるでしょう。フランスでは、ルイ14世の王室建築家マンサールがイタリアのバロックを取り入れてヴェルサイユ宮殿を築きましたが、イタリアのバロックをそのまま踏襲するのではなく、マンサード屋根というフランス独自の特徴を加えました。

ネオ・バロックとは、バロックを再び盛り上げようという意図のもと、バロックにロココや新古典主義など、ほかの様式の特徴を自由に組み合わせた建築様式です。「ネオ」は英語の「ニュー(New)」にあたる接頭辞で「新」を意味するため、新バロック様式とも呼ばれます。ナポレオン3世の治世を第二帝政期と呼ぶことから第二帝政様式とも、さまざまな様式を組み合わせている点から折衷主義様式とも呼ばれます。ガルニエは、バロックに古典主義、ルネサンス、ロココなどの様式を加えて、オペラ・ガルニエを設計しました。詳しくは、ツアーの中で実際にご覧いただきながらご説明します。

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