オペラ・ガルニエ · 9/33

パリ · 建築

オスマン男爵の都市計画とオペラ・ガルニエ

オペラ・ガルニエ · パリ, フランス

オペラ・ガルニエ
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ナポレオン3世の暗殺未遂事件が起きる5年前、パリではすでに大規模な再開発事業が始まっていました。オペラ・ガルニエとオペラ大通りは、この事件をきっかけに、その再開発事業に組み込まれることになります。

パリは歩いて楽しい街です。名所を中心に何本もの通りが延び、その道を最後まで歩いていくと、また別の名所へとつながっています。こうしたパリの姿は、ナポレオン3世と、当時セーヌ県知事だったオスマン男爵による都市整備計画によって生まれました。それ以前のパリは路地が狭くて歩きづらく、道は土のままで、雨が降ればぬかるむのが当たり前でした。下水道も整っておらず、生活排水や汚物が通りに流れ出し、衛生面の問題から伝染病が広がりやすく、治安の悪さも抱えていました。ひとことで言えば、決して暮らしやすい街ではなかったのです。そこで都市整備が進められました。

サル・ル・ペルティエがあったル・ペルティエ通りも、同じ問題を抱えていました。道幅が狭く、公演の前後に人が押し寄せると危険になりかねない場所だったのです。そこへ皇帝暗殺未遂事件が起きたことで、ナポレオン3世はオスマン男爵に、新しい国立劇場も再開発事業に含めるよう命じました。さらに、自身が暮らすテュイルリー宮殿から劇場まで安全に行ける道と、オペラ・ガルニエの中に皇室専用の出入口を設けるよう求めます。

1872年の絵と現在の写真を見比べてみましょう。皇帝一家専用の出入口の扉の上には、鷲の彫刻があります。鷲の紋章は、ナポレオン家のシンボルです。ところがナポレオン3世は、オペラ・ガルニエの完成前に廃位されたため、この扉を一度も使うことができませんでした。この出入口は、現在もオペラ・ガルニエに入場する際にご覧いただけます。正確な場所は、ツアーの中でご案内します。

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