パリ · 建築
ナポレオン3世暗殺未遂とオペラ・ガルニエ
オペラ・ガルニエ · パリ, フランス
オペラ・ガルニエは、1875年に建てられた由緒あるフランス国立オペラ劇場です。ただ、この劇場ができる前にも、フランスの国立オペラ劇場は存在していました。ル・ペルティエ通りにあった「サル・ル・ペルティエ」です。1821年から1873年までの約50年間、パリの上流階級や芸術家たちがバレエを楽しみ、舞踏会に集った、まさに当時随一の人気スポットでした。
印象派の画家エドガー・ドガが描いたバレエの絵を、ご覧になったことはありますか。ドガが生涯で描いた約3千点の作品のうち、半数がバレエを題材にしたものだといいますが、その絵の中でバレリーナたちが稽古をし、舞台に立っていたのが、旧国立オペラ劇場のサル・ル・ペルティエです。画面に映っている絵もドガの作品で、当時随一の振付師だったジュール・ペローがバレエのレッスンをしている様子が描かれています。ペローの代表作のひとつが、バレエ『ジゼル』。村娘のジゼルが伯爵アルバートと、かなわぬ恋に落ちる物語で、この作品が初めて上演されたのもサル・ル・ペルティエでした。
では、当時のフランス皇帝ナポレオン3世は、立派な国立オペラ劇場があるにもかかわらず、なぜ新しい劇場を建てることにしたのでしょうか。きっかけは、1858年1月14日の夜遅く、サル・ル・ペルティエの前で起きた事件でした。この日、ナポレオン3世は、あるオペラ歌手の引退公演を観るため、皇后とともに馬車で劇場に到着したところでした。そのとき、3度の爆発音が響きます。馬車の前で爆弾が破裂したのです。破片が四方に飛び散り、爆風で人が吹き飛ばされるほど、通りは大混乱に陥りました。8人が亡くなり、100人以上が負傷しましたが、皇帝夫妻は馬車に備えられた特殊な鋼板のおかげで命拾いしたと伝えられています。この場面を描いた作品では、画面中央に明るく光る物体として、爆発の瞬間が表現されています。
爆弾でナポレオン3世の暗殺を企てたのは、イタリアの革命家フェリーチェ・オルシーニでした。オルシーニは、当時ヨーロッパで強大な力を持っていたナポレオン3世が、イタリアの独立と統一を支援しないことに憤っていました。当時のイタリアは小国に分かれ、オーストリアの支配下にありました。彼は爆弾を作って皇帝を暗殺し、イタリア独立革命の火種にしようと計画しましたが、失敗。オルシーニは共犯者とともに逮捕され、処刑されました。
この事件をきっかけに、ナポレオン3世は、皇帝をはじめとする上流階級が安全にオペラを楽しめる方法を考えるようになります。その結果として誕生したのが、安全なオペラ・ガルニエと、オペラ大通りでした。