パリ · 絵画
絵の前に知っておきたい物語、ゴッホの人生
オルセー美術館 · パリ, フランス
世界で最も有名な画家を一人挙げるとすれば、ゴッホを思い浮かべる人が多いだろう。華やかな色彩の絵とは対照的に、孤独で苦しみに満ちた彼の人生がまるで一編のドラマのように読めるからかもしれない。ある意味でゴッホは、世界のどの画家よりも物語として完成された人物なのかもしれない。だからこそ、ゴッホの作品をより深く味わうには、彼の人生をあらかじめ知っておくとよい。
ゴッホは1853年、オランダで生まれた。牧師だった父の跡を継ごうとしたが途中で断念し、画家の道へと進んだ。芸術家として成功する自信を持っていたが、現実は厳しく、生涯を通じて貧困に苦しんだ。幸い、画商だった弟テオのおかげで、かろうじて生計を立てながら絵を描き続けることができた。
テオはゴッホの人生に欠かせない存在である。二人が交わした手紙は約650通にのぼり、そこにはゴッホが感じた感情や当時の暮らしぶりがそのまま綴られており、今日彼の絵を感情的により深く理解する上で大きな助けとなっている。ゴッホが生きていた時も、世を去った後も、テオは最大の恩人だったと言えるだろう。
パリのモンマルトルの丘で弟と暮らしていたゴッホは、やがてフランス南部のアルルへと移り住む。パリでの生活に疲れ果てていた彼にとって、アルルは新たなインスピレーションの源となり、そこで『星月夜』や『ひまわり』といった代表作を描いた。アルルで彼は複数の画家が共に暮らし、絵を描き議論を交わせる空間を夢見て提案の手紙を送ったが、ほとんどが断られ、ただ一人、ポール・ゴーギャンだけが応じた。最初は仲が良かった二人だが、性格の違いから次第に対立が深まり、ついに激しい喧嘩の末、ゴーギャンはアルルを去った。
一人になったゴッホは深い孤独感と不安定な精神状態に苛まれ、ある日自らの耳を切り落とす事件を起こす。これについては、ゴーギャンとの喧嘩が原因だという説、弟テオの結婚を控えて今後生活費を送れなくなるかもしれないという手紙に罪悪感を覚えたという説、親しくしていた女性の傷の代わりに自分の耳を差し出したという説など、いくつもの説が伝えられているが、いずれにせよ彼の不安定だった心理状態をうかがわせる。
その後ゴッホはサン=レミの精神病院で治療を受け、再びパリ近郊のオーヴェル=シュル=オワーズへ移り療養した。そこで約70日間過ごしながら70点ほどの作品を残し、この時期に『星月夜』の第二バージョンをはじめとする数々の傑作が生まれた。そしてそれから間もなく、拳銃で自らの命を絶った。今もオーヴェル=シュル=オワーズには、ゴッホと弟テオの墓が並んで佇んでいる。
ゴッホは生涯を通じて絵を一点もまともに売ることができず、弟に頼って生きた画家だった。一人の人間としては手放しで称賛しがたい面もあるが、絵画への情熱だけは誰よりも際立っていた。物事を単に再現するにとどまらず、その中に内面の感情を込めようとした点で、ゴッホは人間の内面や物事の本質を追求したポスト印象派を代表する画家の一人として評価されている。