パリ · 絵画
女神ではなく娼婦、マネが投じた一石『オランピア』
オルセー美術館 · パリ, フランス
服を脱いだ女性がベッドに横たわり、その傍らで黒人の女中が届けられた花を手にしている光景。マネの代表作『オランピア』は、先ほど見たカバネルの『ヴィーナスの誕生』と同じ年、同じサロン展に出品された裸婦像だったが、両者の運命は対照的だった。カバネルの絵は喝采を浴びた一方、この絵は激しい非難にさらされた。
理由は大きく二つある。第一に、マネは女神ではなくパリの娼婦をモデルに裸婦像を描いた点だ。女性の首に結ばれたリボンと腕輪は、当時の娼婦たちが好んで身につけていた装身具であり、「オランピア」という題名もまた、当時パリの娼婦たちが最もよく使っていた名前だった。アレクサンドル・デュマの小説『椿姫』に登場する娼婦の名前がオランピアであり、この小説が大ヒットしたことで、多くの娼婦が自らをそう呼ぶようになったのだ。装身具と名前を通じて、マネがこの女性を女神ではなく娼婦として描いたことが明確に示されているわけである。
当時のアカデミー美術では、女性の裸婦像は聖書や歴史上の人物、あるいはギリシャ・ローマ神話の女神としてしか描くことができなかった。実際には観る者の欲望を満たす目的が大きかったが、神話という体裁をまとうことで問題なく受け入れられていたにすぎない。絵そのものだけを見れば、オランピアはそれ以前の巨匠たちの裸婦像と大きく変わらない。マネが参考にしたとされるティツィアーノの『ウルビーノのヴィーナス』を見ると、横たわる裸の女性とその傍らに立つ女中という構図が、オランピアと非常によく似ている。ティツィアーノがこの絵を描いた当時のヴェネツィアは商業が発達し富が溢れる開放的な都市で、娼婦が多いことでも知られていた。ティツィアーノが描いたヴィーナスのモデルが、実際には当時ヴェネツィアの有名な娼婦だったという説もあるが、「女神」という体裁で包まれていたため問題にはならなかった。カバネルのヴィーナスも同様だった。
一方マネは、この女性を神話上の存在として体裁を整えることなく、堂々と娼婦の名を掲げた。伝統的な美術の慣習に真正面から立ち向かった形であり、その代償として激しい非難を避けることはできなかった。
第二の理由は、この絵がフランスのブルジョワ男性たちの後ろめたさを暴いたことにある。当時のブルジョワ男性たちは表向きには知識人を気取っていたが、裏では娼婦と付き合い、愛人として囲うことも珍しくなかった。オランピアの傍らにいる黒人の女中は、高級娼婦がブルジョワの後ろ盾を受けて女中まで雇えたという当時の現実を映し出しており、オランピアが身につけている高価な装身具もまた、ブルジョワ男性から贈られたものだった。この絵を批評した評論家たちの多くが、まさにそのブルジョワ階級であったため、自分たちの後ろめたさが公にされたこの絵を快く思うはずがなかった。
さらにマネは、すでに『草上の昼食』で一般女性の裸体を描き、一度批判を受けた経緯があった。そんな彼が再び型破りな裸婦像を発表したことで、評論家たちの反発はいっそう強まったのだろう。
しかしマネは周囲の非難に揺らぐことなく、自らの芸術世界を最後まで貫き通した。こうした独自の歩みゆえに、今日では一部の美術史家たちがこの『オランピア』を現代美術の出発点として評価してもいる。