パリ · 建築
聖アンナの扉
ノートルダム大聖堂 · パリ, フランス
3つの扉のなかで、いちばん右に位置するのが聖アンナの扉です。聖アンナはイエスの祖母、つまり聖母マリアの母にあたります。聖書には登場しませんが、中世に広く読まれた『黄金伝説』では、ヨアキムとアンナが聖母マリアの両親として登場します。
この扉の最大の秘密は、扉の上の半円形の空間、ティンパヌムの彫刻にあります。この彫刻はもともと別の聖堂のために1150年ごろに作られ、どういうわけかここに再利用されたものです。そのため、ほかの扉の彫刻より50年近くも古いのです。中央には、幼子イエスを抱いて玉座に座る聖母マリアがいます。威厳はあるものの、姿勢はどこか硬く、まっすぐです。衣のひだも、不自然なほど規則的です。これこそ、ゴシック以前のロマネスク様式の特徴です。聖母の両脇に立つ司教と王は、当時とても密接だった教会と王権の関係を示す象徴といえるでしょう。古い石像のため、誰なのかははっきりわかっていませんが、サン・ジェルマン司教とキルデベルト王ではないかという説があります。
その下の敷居の上には、横長の石が2枚あります。ここには、より具体的な聖書の物語が、絵解き聖書のように刻まれています。下段には聖母マリアの両親、聖アンナと聖ヨアキムの物語、上段には、天使ガブリエルが訪れる受胎告知から東方三博士の礼拝まで、イエスの誕生の物語が時間の順に繰り広げられます。
扉の中央を支える柱には、パリのかつての司教、聖マルセルが立っています。足元には竜を踏みつけていますが、伝説によれば、彼はパリを苦しめていた凶暴な竜を退治したのだそうです。おそらくこの竜は、当時パリに広がっていた異教の思想や災いを象徴していたのでしょう。この聖マルセルの像をはじめ、扉を守る聖ペトロやソロモンといった彫像の大半は、19世紀に新しく作られたものです。
12世紀のロマネスク彫刻という心臓に、13世紀のゴシック建築という体をまとい、19世紀の修復という新しい衣を羽織った聖アンナの扉は、さまざまな時代が一つに絡み合った、複合的な歴史の書物なのです。

