パリ · 絵画
睡蓮が生まれた水の庭
ジヴェルニー · パリ, フランス
ここは、モネが睡蓮を描いた、まさにその庭です。
モネは師のウジェーヌ・ブーダンから光と色を描くコツを学び、毎日絵を描きながら、刻々と変わる光の色彩を独自の手法で表現しました。そんなモネにとって、睡蓮の連作を完成させたジヴェルニーの庭は、優れた表現力を最大限に引き出してくれる、またとないモデルでした。モネは1893年、庭を広げるために隣接する土地を購入しましたが、道のりは平坦ではありませんでした。池をつくる計画書を役所に提出すると、近隣の住民は水の流れがせき止められたり、水質が汚染されたりすることを心配し、計画は3度も却下されたのです。4度目の挑戦でようやく許可が下り、池の水を循環させるのは、村人が水を使わない夜間だけにすることで合意しました。
苦労の末に池を完成させたものの、モネはおよそ1年間、池を描きませんでした。周りの木々が根づくには時間がかかると考えたことに加え、自分自身もその場所で時間を過ごし、対象に慣れ親しむ必要があると考えたからです。彼はイーゼルの代わりにベンチを置き、毎日そこに座って、池と水、そして睡蓮を観察しました。さらに、お気に入りだった日本風のアーチ型の木橋を架け、自分がつくり上げた水の庭の美しさにすっかり魅了されて、睡蓮の連作を描きはじめます。
睡蓮の連作は250点あまりにのぼり、第一次世界大戦の戦没者を追悼するために描かれたといわれています。晩年のモネは、7人の庭師とともに庭を手入れするほど、この池に没頭しました。この頃からの作品は、壁画ほどもある巨大なキャンバスに描かれ、霧や反射する光を抽象的に表した色彩と、モネ独特の厚い筆づかいが際立ちます。30年あまり睡蓮を描き続けるなかで生まれた画風です。
なぜモネは、それほど長く睡蓮にこだわったのでしょうか。ひとつの主題を描きながら、絶えず流れていく時間の動きをつかまえておきたかったこと、そして、時間の流れとともに移ろう光と色彩をありのままに描きたかったことが理由と考えられます。モネは睡蓮というテーマを、次のように振り返っています。
「睡蓮を理解するまでには、長い時間がかかった。あるとき突然、池の上に目もくらむような光景を見た。私はすぐにパレットを手に取った。」
ベンチに腰かけて、次のお話をお聞きください。

