パリ · 絵画
光を追い続けた連作の画家
ジヴェルニー · パリ, フランス
1890年、積み藁をきっかけに、モネは同じモチーフを季節や時間、天候、光の変化に合わせて描く連作を構想します。なかでも最初に取り組んだのが、光の変化でした。印象派の巨匠らしく、驚くほど正確な目と手さばきを備えていたといわれ、執念ともいえる観察を重ねることで、自然の変化を見抜く力を養いました。荒々しく力強い筆づかいと、激しい色調の起伏は、こうした経験のうえに築かれたものです。
とはいえ、この作業は決して容易ではありませんでした。同じ対象を前にしながら、光によって移ろう様子をどうやって捉えたのでしょうか。モネが見た瞬間の光と、その光に照らされた物の形は、過去にも未来にもない、その一瞬にだけ存在するものでした。だからこそ、彼の目と手は常に自然に向かって忙しく動き続けなければなりませんでした。モネは、自然こそが光と色彩の変化を表現するうえで最高の素材だと考え、長い生涯を通じてひたすら自然の光だけを追い求めました。彼にとっては、何を描くかよりも、光の変化をどう表現するかのほうがはるかに大切な課題だったのです。
1876年から78年にかけて描いた最初の連作《サン・ラザール駅》は、同じ題材を光の色合いの変化に合わせて、複数のキャンバスに分けて描いたものです。代表作《睡蓮》は、1899年から1926年に亡くなるまで取り組んだ最後の連作でした。1911年に2番目の妻を亡くしたモネは、失意のあまり3年間筆を置いていましたが、友人で政治家のジョルジュ・クレマンソーに励まされて再び筆を執りました。そうして生まれたのが、パリ・テュイルリー公園のオランジュリー美術館にある《睡蓮》の大壁画です。《ルーアン大聖堂》の連作でも、光の変化に応じて描き進めていったことは、誰の目にも明らかです。
ただし、連作といっても、大きさや構図、対象を見る角度が同じで光だけが変わるわけではありません。キャンバスの大きさや視点も、作品ごとにすべて異なって表現されています。
モネは晩年に白内障を患いました。その兆候は、知られているよりも早く始まっていたのではないか、という推測もあります。1880年代後半から、細かな描写よりも光の変化を追い求めるようになり、光の強い絵ほど線ではなく形で表現されているためです。いずれにせよ、クロード・モネは光の変化を誰よりも見事に表現した画家と評価され、「印象派の父」と呼ばれています。

