パリ · 絵画
印象派の父、モネの若き日々
ジヴェルニー · パリ, フランス
ジヴェルニーへ向かう道すがら、モネの物語をご紹介します。
モネはパリで生まれましたが、5歳のときに両親とともにル・アーヴルへ移り、幼少期から青年期までをこの地で過ごしました。思春期の頃には、町の名士たちを描いたカリカチュアで地元の人気者になります。当時の労働者の日給は5フランでしたが、その絵を10フランで売っていたというのですから、なかなかの稼ぎです。10代後半には、「海岸の画家」と呼ばれたウジェーヌ・ブーダンに弟子として迎えられ、これが画家への道を開くことになりました。モネはブーダンから油彩を学び、屋外で風景や海を描くよう教えられます。「実際の場所で直接描いた絵には、アトリエで仕上げた作品にはない迫力と生き生きとした力がある」という言葉を信じ、ノルマンディーの海辺の風景を写生して歩きました。こうしたことから、彼らは「外光派」とも呼ばれています。
1859年にパリへ出たモネは、グレールのアトリエでルノワール、バジール、シスレーらと交流し、この4人はときにフォンテーヌブローの森で一緒に制作することもありました。その後はクールベやシャルル=フランソワ・ドービニーとも出会い、共に制作しています。幅広い交友関係を築いていたのですね。初期はクールベやマネの影響で人物画を描いていましたが、次第に明るい屋外の風景画へと移っていきます。普仏戦争ではロンドンに避難し、ターナーやコンスタブルなどイギリス風景画家の作品に触れたことで、色彩表現がいっそう明快になりました。
1871年には、パリ郊外のセーヌ川沿いの行楽地アルジャントゥイユに居を構え、近代化・工業化が進むこの地域のさまざまな風景を描きました。自然の移ろいを追って描くために、アトリエ用の船をセーヌ川に浮かべたこともあります。1874年にパリで開かれた「画家・彫刻家・版画家などの共同出資会社」の展覧会に12点を出品し、その中の《印象、日の出》というタイトルから、モネを中心とする画家たちに「印象派」という名前がつくことになりました。この絵はあまりにも有名な代表作です。ただし当時、この言葉には、伝統的な絵画の表現手段を失ったとしてモネら印象派の画家たちを攻撃する、否定的な意味が込められていました。
モネほど光を愛し、光に憧れた画家は、かつていなかったといいます。白くかすむ朝霧と、光に染まる日の出の海。銀のうろこのように日差しにきらめくポプラ並木。光の移ろいとともに刻々と装いを変える自然の姿は、モネに解けることのない魔法をかけました。彼は、物の本来の形に近いものを生み出すことよりも、光によって変化する物の美しさを讃えました。画家とは、実際に目の前にあるものだけを描く人だと考えていたので、想像力による変形はどんな形でも受け入れなかったのです。
1878年からパリと印象派の仲間たちのもとを離れ、ヴェトゥイユに滞在したモネは、1879年に、連れ添った妻カミーユを亡くします。厳しい寒さのなか、室内での制作を続けました。この時期に描かれた花や果物の静物画には、それまでになかった悲しみと絶望の色合いがにじんでいます。1883年の初めから名声を得て経済的にも余裕ができ、同年の春、二人目の妻ブランシュ・オシュデと子どもたちを連れてジヴェルニーに移り住みました。美しい庭に魅せられた彼は、1890年にこの家を購入します。そう、皆さんがこれから訪れる場所です。


