パリ · ショッピング
ブシコーの革新的な宣伝戦略
パリ · パリ, フランス
商品を売るうえでは、商品そのものと同じくらい、ときにはそれ以上に大切なのが「どう宣伝するか」です。19世紀初頭までは、人が多く集まる場所で広告ビラを配ったり、体の前後に広告板を掲げて歩くサンドイッチマンを使ったりして宣伝していました。この方法は、新聞広告が初めて登場したことで変わっていきます。
ブシコーは新聞広告を積極的に活用するため、百貨店のなかに印刷所を設けました。当時は日刊紙「プレス」を除けば、新聞社でも自社の印刷所を持つのは難しい状況でした。そんな時代に百貨店が印刷所を構えたことは、ブシコーがいかに型破りだったか、そしてボン・マルシェがどれほど大量の印刷物を必要としていたかを物語っています。代表的な宣伝物がカタログ、つまり商品案内です。ボン・マルシェが実際に発行したカタログには、先ほど紹介した日傘が載っており、どんな生地が使われているか、価格はいくらかが分かります。ブシコーはこうしたカタログを作り、毎週パリとその周辺に大量に配布して、商品を宣伝し販売しました。
バカンス特集のカタログは、先ほど述べた女性の購買心理を刺激した例です。当時の上流階級には、ノルマンディーの海岸へ休暇に出かける習慣がありました。ブシコーは、上流階級の新しい流行をカタログで見せることで、中産階級の女性が目指すべき暮らしの姿を提示したのです。これを見た女性たちは、上流階級を真似て自分もその一員のように振る舞おうと、あるいは流行に遅れまいと、ボン・マルシェに立ち寄って水着を買い、ノルマンディーへ向かいました。
似た心理を利用した宣伝物が、「アジェンダ」と呼ばれる、年間の行事予定表がついた手帳です。こうした行事に参加することで、似た文化を持つ人同士が交流し、自分が「それなりの水準の人間」であると実感できました。アジェンダは、年間の行事に参加できずに疎外感を抱く人や、その文化に加わりたい人に、行事に参加するにはボン・マルシェである程度買い物をしなければならない、という考えをさりげなく植えつけました。おかげで中産階級の女性は、ボン・マルシェでの買い物を、不必要なものを買うことではなく、ブルジョワとして当然のことだと正当化できたのです。
人は一般に、広告よりも新聞の報道記事のほうを信頼し、ときには無条件に事実だと信じることさえあります。個人の目的や感情が入った広告と違い、報道記事は公的なものなので、事実に基づいているはずだと考えるからです。ブシコーはこの心理を利用して、「レクラム」と呼ばれる宣伝記事を作りました。ボン・マルシェ側が用意して新聞に載せさせた、いわば仕組まれた記事です。さらにこの記事を、アジェンダのような宣伝物に再び掲載することで、マスコミがボン・マルシェに注目しているという空気をつくり出しました。
また、当時の万国博覧会(現在の世界博覧会)にボン・マルシェ専用のパビリオンを設けて展示することで、「ボン・マルシェは世界各国の人が見物に訪れる場所だ」という印象も植えつけました。その結果、人々は「ボン・マルシェに行かなければ流行に遅れる」と感じるようになり、ボン・マルシェはいわゆる「人気スポット」になっていったのです。
ブシコーは、人の心理を巧みに操った天才的な実業家にも、仕組んだ記事で宣伝した詐欺師にも見えます。いずれにせよ、こうした独自の宣伝戦略によって、ボン・マルシェは近代的な百貨店として定着し、今もパリの街を見守っています。




