パリ · 絵画
並んで眠る兄弟、フィンセントとテオ
オーヴェル=シュル=オワーズ · パリ, フランス
並んだ二つの墓石、これがゴッホとテオの墓です。ある意味では、この墓地でもっとも質素な墓かもしれません。フランスの墓地では、石棺の素材や高さで富を誇ることがよくありますが、二人の墓にはそうした飾りがまったくありません。決して裕福ではなかった暮らしぶりがうかがえます。
ゴッホと弟テオが特別な絆で結ばれていたことはよく知られています。家庭を持たなかったゴッホにとって、家族と呼べるのは両親ときょうだいだけでした。彼は6人きょうだいの長男で、テオは三番目。唯一、兄と継続的に連絡を取り合っていた存在です。妹のアンナとエリザベートは、ゴッホと親しくなかったばかりか、彼を嫌ってさえいたといいます。兄弟が特に親しくなれたのは、二人とも画商という、芸術に根ざした仕事に就いていたからでしょう。五番目の妹ウィルだけは兄の芸術を認め、ときどき手紙を交わしていたそうです。あれこれ考えると、ゴッホにとって「家族」と呼べるきょうだいはテオだけでした。画家になる勇気をくれたのも、その後亡くなるまで精神面でも経済面でも支え続けてくれたのも、テオただ一人です。両親がテオのようにゴッホの才能を見いだし、応援してくれていたらどうだったでしょう。
ゴッホは日ごろからテオと数え切れないほどの絵や手紙をやり取りしていました。テオはもちろん、ゴーギャンをはじめ周囲の人々にも自分の状況を伝え、前向きな言葉を書き送っていたといいます。これらの手紙は作品に劣らず貴重な資料として残っていますが、そのうち約700通がテオ宛てというのですから、テオがどれほど大きな支えだったかがわかります。なかでも有名な一節がこちらです。
「もう一度言うけれど、今すぐ僕を精神病院に閉じ込めるか、でなければ全力で絵を描かせてほしい。僕が狂っていないなら、絵を始めたときから約束してきた絵を、君に送れる日が必ず来る。僕を養うために、君はいつも貧しい思いをしてきただろう。お金は必ず返す。それができなければ、僕の魂を渡そう。」
最後の「魂を渡そう」という言葉、皆さんはどう感じますか。映画の名セリフのように、思わず胸がいっぱいになります。弟の兄への思いは深く、自分の息子にもフィンセントという名前をつけました。ゴッホがサン=レミの療養院にいたころ、こんな手紙が届きます。
「かわいそうな兄さん、本当に胸が痛むよ。僕たちはついにかわいい男の子を授かったのに、どうして兄さんはまだ苦しみから抜け出せないんだろう。神様は兄さんにいったい何を望んでいるのか。男の子が生まれたんだよ、兄さん。妻も元気だ。前に話したとおり、兄さんの名をとってフィンセントと名づけることにした。」
療養院にいて、自分の名をもつ愛らしい甥に会いに行けなかったゴッホは、絵で気持ちを伝えることにしました。テオが母に宛てた手紙からも、二人の惜しみない兄弟愛が伝わってきます。
「兄の死が僕にとってどれほど大きな悲しみだったか、想像もつかないでしょう。僕は一生この悲しみを背負って生きていきます。今になってようやく兄の作品を称賛する人が現れましたが、もう遅いのです。僕にとって、何ものにも代えがたいたった一人の兄でした。」
テオは、兄が亡くなってから半年後に急に体調を崩し、世を去りました。故郷オランダに埋葬されていたテオの遺体は、夫がどれほど兄を愛していたかをそばで見てきた妻の手によって、1914年にゴッホの隣へ移されました。自分を信じ愛してくれる弟がいたという点では、ゴッホは世界でもっとも幸せな画家だったのかもしれません。
墓地を出て正面を見ると、次の目的地「カラスのいる麦畑」が描かれた場所が遠くに見えます。


