パリ · 絵画
《アヴィニョンの娘たち》、キュビスムの扉を開く
ピカソ美術館 · パリ, フランス
《アヴィニョンの娘たち》は、女性たちが並んで立つ姿で広く知られた作品なので、見覚えのある方も多いでしょう。正確には、スペイン・バルセロナの娼館にいた娼婦たちを描いた絵です。今でこそ高く評価されていますが、1907年に完成した当時は、一般に公開されなかったばかりか、アトリエでこの絵を見た仲間たちからは、激しい非難が浴びせられました。フォーヴィスムの画家アンドレ・ドランは、「この大きな絵の後ろで、ピカソが首をつって死んだという知らせをそのうち聞くことになるだろう」と、きつい言葉を投げつけたと伝えられています。ところが、ピカソは死ぬどころか、仲間たちよりはるかに長生きしました。そしてこの作品は、キュビスムを世に知らしめると同時に、その中でピカソが新たな挑戦を続けていく最初の鍵となったのです。
ルネサンス以来、ヨーロッパの絵画には遠近法が取り入れられ、画面に奥行きが生まれました。消失点を中心に距離感を表す手法は、長く受け継がれてきました。ピカソに先立って現代美術を牽引したセザンヌが、これを打ち破ります。ものをそのまま描くよりも、「自分がどう見るか」が重んじられるようになったのです。セザンヌの影響を受けたピカソのキュビスムは、対象を正確かつ細密に描写するのではなく、対象から受けた主観的なイメージに重きを置きました。そして、三次元の対象を平面にどう表せるのか、複数の視点から見た立体的なものをどう表現できるのかを、模索し始めます。
そのため、この絵の人物たちは、それぞれの顔立ちが無視され、実際の姿を思い浮かべることができません。体はねじれた彫刻のようで、体の一部は断面に切って貼り合わせたかのようです。後ろ向きに座っているのに、顔だけはこちらを見ている人物もいます。背景のカーテンは色紙のようで、人物と背景が一枚の画面に広がっているため、奥行きや遠近感はあまり感じられません。
ピカソの死後、アトリエからはこの作品に関する習作が数百枚も見つかりました。スケッチの段階では、女性たちだけではありませんでした。娼館の客である男性が二人いたのです。ところが、完成した絵では男性の姿は消され、女性だけが残りました。では、男たちはどこにいるのでしょうか。それは、女性たちが見つめている先、つまり私たち鑑賞者です。20世紀初頭にこの絵を見たのは、おもにブルジョワや批評家、知識人、画家たちでした。当時も売春は暴力的なものと受け止められていたため、彼らはこの絵の前で心理的な居心地の悪さを覚えたことでしょう。この作品が観る者に対して攻撃性をのぞかせるのは、そのためです。
また当時は、ピカソだけでなく、ヨーロッパの芸術家の間でアフリカの伝統彫刻への関心が高まっていました。同僚でありライバルとして知られるアンリ・マティスにパリでばったり会ったとき、マティスが小さなコンゴの彫像を手にしているのを見て、ピカソは新鮮な衝撃を受けたといいます。その後ピカソは、トロカデロの人類博物館に足を運び、長い時間をかけてアフリカの彫刻をスケッチしました。ヨーロッパ美術が人体の比例や筋肉、腕を曲げたときにできる影を追求してきたのに対し、アフリカの伝統彫刻は筋肉や比例、顔立ちよりも直線的で、非常に単純です。ピカソは、こうした極端に単純で記号的な線が持つ強い印象と象徴性、そして汚れのない純粋な感覚を見いだしたのでしょう。そのため、絵の右側の二人の女性と左端の女性は、とくにアフリカの仮面を思わせます。中央の二人は少し趣が異なり、古代イベリア彫刻の影響を受けています。
こうしてキュビスムを世に知らしめた最初の作品が《アヴィニョンの娘たち》であり、今ご覧になっているのはその習作です。

