パリのピカソ · 13/27

パリ · 絵画

最初の妻オルガ、華やかな日々と亀裂

ピカソ美術館 · パリ, フランス

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《肘掛け椅子に座るオルガの肖像》には、優雅な佇まいの女性が描かれています。彼女の名はオルガ・コクローワ、ピカソの最初の妻です。エヴァ・グエルが結核で早世してから約2年後、ピカソはオルガと出会いました。二人が出会った場所はパリではなく、ローマでした。

1917年2月、ピカソはバレエ《パラード》の台本を手がけたジャン・コクトーの紹介で、セルゲイ・ディアギレフ率いるバレエ団の舞台装飾と衣装を制作することになりました。ディアギレフは、ロシアで非常に名高いバレエのプロデューサーでした。このバレエ団の主役級のダンサーの一人が、オルガ・コクローワでした。オルガはピカソとの結婚を機にバレエをやめましたが、有名なバレエ作品で主要な役を数多く務めた、才能あるダンサーでした。ピカソは25歳の美しいオルガにすっかり夢中になり、その年はずっとバレエ団を追いかけて愛をささやきました。二人の恋は劇団内でも大きな話題となり、やがて一緒に暮らすようになると、オルガは自然とバレエ団を離れました。結婚式は、1918年7月にパリのロシア教会で挙げています。

その頃、マティスとともに開いた展覧会が大成功を収め、ピカソはその収入でオルガと南フランスへ旅行にも出かけました。それまでの作品にどこか憂うつで暗い面があったとすれば、この頃は心の平穏を得たのか、青い海で泳ぐ女性たちなど、見ていて心が安らぐ絵をたくさん描いています。もはや、お金がなくて絵の上に別の絵を描いていたバトー・ラボワール時代のピカソではありませんでした。裕福な暮らしを楽しむ成功した画家であり、ダンサーだった美しい妻を持つ夫にふさわしく、1920年代初めのピカソは、社交界や文化界の集まりの常連となります。優雅なパトロンや画商たちの肖像画を手がけて莫大な収入を得て、同じくらい莫大なお金を使いました。

1921年には、二人の間に息子のパウロが生まれます。ピカソは初めて父性愛を感じ、道化師に扮したパウロや、白い帽子をかぶったパウロなど、息子をキャンバスに描き始めました。オルガの肖像画にも気品が漂い、ブルジョワ的な妻の姿が感じられます。

けれども、幸せは長くは続きませんでした。最初は、妻の美しさや、初めて触れる社交界の楽しさがあったのでしょうが、ピカソはもともと、そうしたものに興味や人生の喜びを見いだす人ではありませんでした。そのうえ、結婚後のオルガの浪費は、乳母や料理人、運転手を雇うまでに、日ごとにひどくなっていきます。そうした贅沢にピカソは次第に疲れ果て、周囲の女性たちに目を向け、浮気をするようになりました。

オルガの立場も穏やかではありませんでした。ロシアを離れてはいたものの、1917年のロシア革命で、祖国は非常に厳しい時期にありました。家族や友人、知人から届く手紙には、大混乱と物資の不足、困窮に苦しむ様子が綴られており、心の片隅が痛みに染まっていくなかでした。そんな折、ピカソに秘密の恋人がいるという話まで耳にします。正確にいつ知ったのかは伝わっていませんが、それを知った時点から、二人の関係が良くなるのは難しかったことでしょう。

それでも、すぐには離婚しませんでした。理由はいくつかありますが、ピカソには莫大な財産があり、二人の間には息子もいました。また、ピカソの国籍がスペインだったため、離婚にはスペインの法律が適用され、離婚は容易ではなかったといいます。さらに、オルガは、のちに年老いて亡くなるまで離婚に応じませんでした。ピカソがあれほど多くの女性と浮名を流しながら、法的な妻が二人しかいない理由は、ここにあります。晩年のピカソは、オルガとの結婚生活、とりわけ結婚が終わりに近づいた頃を振り返り、あの時間は疲れ果て、つらく、ひどいものだったと語ったそうです。

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