パリのピカソ · 3/27

パリ · 絵画

友の死、そして「青の時代」の始まり

ピカソ美術館 · パリ, フランス

ピカソ美術館
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目を閉じた男性の背後で、ろうそくの炎が燃え盛っています。《カサジェマスの死》の主人公カサジェマスは、ピカソがスペインにいた若い頃に親しくしていた画家仲間です。二人の間に何があって、ピカソはこの絵を描くことになったのでしょうか。

二人が出会ったのは1899年、バルセロナでのことでした。ブルジョワ家庭に生まれたカサジェマスは、才能にも家柄にも恵まれ、仲間の画家たちとグループを組んで展覧会を開いていました。一方のピカソは、マドリードの退屈な美術学校の授業を飛び出してバルセロナにやって来たばかりで、意欲に満ちていました。気の合った二人は一緒に暮らし、絵や芸術について語り合う親友になります。二人がよく通ったのは、芸術家たちの溜まり場だった酒場「エルス・クアトレ・ガッツ」。政治を語り、芸術を論じ、酒を酌み交わすその店で、二人はパリの話をたびたび耳にしました。当時はパリへ渡るスペイン人画家が多く、帰ってきた芸術家たちが現地の様子を伝えてくれたのです。パリへの憧れは募り、1900年のパリ万国博覧会でピカソが初めて絵を一点出品できることになって、現実のものとなります。出品作は《最後の瞬間》ですが、残念ながら現存していません。これをきっかけに、二人は1900年の秋、パリへと旅立ちました。

モンマルトルに居を構えた二人は、パリの華やかな夜やスペイン人芸術家たちとの出会いの中で過ごします。そんなとき、カサジェマスが恋に落ちました。相手は、ムーラン・ルージュの踊り子ジェルメーヌ。彼はすぐに想いを告げて迫りましたが、ジェルメーヌにはその執着が重荷で、彼を避けるようになります。拒まれたショックから、カサジェマスは酒に溺れていきました。見かねたピカソは、事態がさらに悪化する前にと、1900年のクリスマスに友をバルセロナへ連れ帰ります。新年をスペインで一緒に迎えたものの、カサジェマスは立ち直れず、ジェルメーヌの話ばかりしては酒を飲み続けました。1901年、彼は「ジェルメーヌに会わなければ」と言ってパリに戻り、ピカソはマドリードへ向かって、二人は別れました。

再会したジェルメーヌの態度は変わりませんでした。1901年2月17日、あるカフェで、カサジェマスは四人の友人とジェルメーヌと共に酒を飲み、またも愛を訴えます。ジェルメーヌが席を立とうとすると、彼は拳銃を取り出して彼女に向けて引き金を引きました。弾はかろうじてそれ、彼はすぐに銃口を自分に向け、自ら命を絶ちました。二十歳を少し過ぎたばかりの若き芸術家の、あまりに突然で、あっけない最期でした。

マドリードで訃報を受けたピカソは、戸惑いと衝撃の中で、記憶の中のカサジェマスをキャンバスに描き始めます。深い憂うつ、友の不在、絶望や罪悪感が伝わってくる作品群です。ここで取り上げた絵は一部にすぎず、実際にはもっと多くの作品が残されています。ピカソとジェルメーヌの間に「いい雰囲気」があったという話も伝わっており、そのためピカソはカサジェマスに対してより強い罪悪感を抱いたのではないか、という見方もあります。二人は深い関係には発展せず、うやむやのまま友人として終わったといわれています。

カサジェマスの死は、ピカソに精神的な衝撃を与えただけでなく、芸術にも変化をもたらしました。ピカソの芸術は、ミューズやモデル、画風の変化によっていくつかの時代に分けられますが、その最初が「青の時代」です。文字どおり青色を多用したことからの呼び名で、その始まりはカサジェマスの死の直後とされています。深い憂うつの中で、ピカソは青や黒、藍色が主体の作品を数多く描きました。青の時代については、このあと改めて詳しく見ていきます。

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