パリ · 絵画
神童が描いた最初の絵
ピカソ美術館 · パリ, フランス
《帽子をかぶった男》は、1895年、ピカソが15歳のときに描いた作品です。今回ご紹介する作品の中では、彼が最も幼い頃に描いた一枚でもあります。この絵が特別に有名だからでも、モデルがピカソの人生で重要な人物だからでもありません。ピカソの初期のスタイルがよくわかる作品だからです。私たちがイメージするピカソの絵といえば、形が判別しにくかったり、ゆがんで見えたり、幾何学的な図形が目立ったりするものが多いでしょう。けれども、そうした作品は大人になってからのもので、少年時代のピカソは、この絵のように対象を非常に細かく描写した作品を数多く残しています。画風の変遷はほかの作品を見ながら追っていくとして、ここではピカソの幼い頃の話をしましょう。
幼少期のエピソードはいくつか知られていますが、そのひとつは誕生の瞬間の話です。生まれたばかりのピカソは泣かず、産婆は「息をしていないようだ」と家族に知らせました。家族も黙り込んだまま、なすすべがなかったといいます。そのとき、遠縁で医師のサルバドールが、隅でたばこを吸っていたところから近づき、赤ん坊の鼻先にふうっと煙を吹きかけました。皆があっけにとられていると、赤ん坊はむせて咳き込み、元気な産声を上げた――という話です。生まれてすぐに大きな山場を越えたことになります。
ピカソの父は、地方の学校で美術教師を務めていました。その影響で、幼い頃から絵に関心を持ち、触れる機会にも恵まれていました。父に励まされて描いた最初の作品が《幼い闘牛士》で、1889年、9歳のときの絵です。続いて1896年、15歳で描いた初のアカデミックな作風の作品が《初聖体拝領》です。中央の少女はピカソの妹だといわれています。ピカソは長男で、下に妹が2人いましたが、6歳違いの末の妹コンチータは、ごく幼くして病気で亡くなりました。彼は幼い妹をしのぶ気持ちから、絵の中に妹の顔を描き込んだとされています。1897年の《科学と慈愛》では、ベッドに横たわる病人の両脇に医師と修道女が立っていますが、ここでも医師の顔は、ピカソが父をモデルに描いたものです。この作品は、のちにマドリードの展覧会で高い評価を受けました。幼少期の作品としては、このあたりを覚えておけば十分でしょう。
その後、ピカソはマドリードの美術学校にも進みます。けれども、この神童がほかの子どもたちと同じ教育を受けていたなら、今のピカソは存在しなかったでしょう。彼は授業に興味を持てず学校をやめ、自分だけの芸術の世界を切り開いていくことになります。

