パリ · 街歩き
パリ市庁舎――権力と抵抗の舞台
パリ · パリ, フランス
ツアー最初の目的地は、パリ市庁舎です。地下鉄で来られた方は、1号線・11号線の「Hôtel de Ville」駅で降りたことでしょう。「hotel」を英語風に読むと「ホテル」になるため、旅行者はホテルの名前だと思い込みがちです。けれども、フランス語の「Hôtel de Ville」は「市庁舎」を意味し、「Hôtel de Ville」駅はすなわち市庁舎前駅なのです。
市庁舎はパリの中心に建ち、激動の歴史を見守ってきました。市庁舎前広場は、長く市民が集まるパリの中心広場の役割を担ってきた場所です。市庁舎はもともと近くのシャトレにありましたが、1357年にここへ移されました。この広場は、1310年から1832年までの約500年間、処刑が行われた場所でもあります。ルイ15世を刃物で刺して暗殺を図ったダミアンも、ここで処刑されました。四頭の馬に手足をつないで引き裂くという方法で、大勢の群衆が見物に集まったと伝えられています。
ルイ16世の時代の1789年7月14日、腐敗した王や貴族、聖職者に怒った市民軍が蜂起し、フランス革命が起こります。革命後、ルイ16世と王妃マリー・アントワネットをはじめ1000人以上がギロチンで処刑されましたが、その場所はここではなく、コンコルド広場でした。革命軍は市庁舎を占拠し、革命の拠点としました。ところが、革命を率いたロベスピエールは、やがて革命の本質を見失い、反対者を片端から捕らえて処刑する恐怖政治を敷きます。これに反対する勢力が現れ、ロベスピエールは市庁舎に閉じ込められることになりました。最後には、自らが多くの人を送ったコンコルド広場のギロチンで処刑され、恐怖政治は幕を閉じます。
その後、ナポレオンの甥のナポレオン3世が皇帝に即位し、再び君主制の時代が始まりました。しかし、叔父とは違って戦いが得意ではなかった彼は、プロイセンとの普仏戦争で敗北を重ね、ついには捕虜となってしまいます。皇帝が突然いなくなったのです。プロイセンと休戦したフランス政府がパリではなくヴェルサイユに置かれると、怒ったパリ市民は自分たちの政府「パリ・コミューン」を樹立しました。一つの国に二つの政府が並び立つ状態となり、内戦が始まります。パリ・コミューンはヴェルサイユ政府軍に抵抗するなか、この市庁舎に火を放ちました。その後に再建された姿が、現在の市庁舎です。ここは、フランスの権力と自由、そして抵抗が交差した現場なのです。
市庁舎の外壁を飾る数多くの彫像は、パリの歴史を彩った338人の人物たちです。哲学者のヴォルテール、ルーヴルに所蔵されている『民衆を導く自由の女神』を描いたドラクロワ、枢機卿でありルイ13世の宰相でもあったリシュリューなどが彫られています。夜のライトアップの中、市庁舎はいっそう輝いて見えることでしょう。

