パリ · 街歩き
サルトルとボーヴォワールの合葬墓
パリ · パリ, フランス
契約結婚の象徴であるサルトルとボーヴォワール、二人の恋人の墓です。フランスの実存主義哲学者であり思想家、作家でもあるサルトルは、小説『嘔吐』で知られ、「実存主義の教皇」というあだ名でも呼ばれました。『第二の性』を著したボーヴォワールは、女性解放運動を牽引し、「フランスのノーベル文学賞」ともいわれるゴンクール賞を受賞した文人として知られています。
二人はソルボンヌ大学の哲学教授資格試験で出会いました。サルトルが1位、ボーヴォワールが2位で、ここから縁が始まります。当時21歳だったボーヴォワールは最年少の哲学教授合格という記録を打ち立て、合格発表のその日にサルトルは愛を告白すると同時に、契約結婚を提案しました。互いに別の人と恋愛をしてもよいけれど、そのことを正直に打ち明けるという関係です。まず2年間一緒に暮らしてみて、その後は2年ごとに契約を更新するという条件もありました。多くの人から非難されましたが、伝統的な結婚制度は女性を家事労働者にしてしまうと考えていたボーヴォワールは、快く受け入れます。
二人は家事に縛られないよう、同じホテルの別々の部屋で暮らし、それぞれの空間を尊重しながら結婚生活を営みました。二人とも他の人々との関係を続けたことでも知られています。両性愛者だったボーヴォワールが交際した女性たちとサルトルも会うなど、周囲を驚かせる関係でした。それでも最後にはいつも互いのもとへ戻り、互いの社会活動を支え、連帯しました。二人は51年間を共に過ごし、亡くなったあとも同じ場所に葬られました。サルトルは1980年、ボーヴォワールは1986年に世を去っています。ボーヴォワールは自伝で「私の人生で最も成功した成果は、契約結婚に基づくサルトルとの関係だった」と語っています。
この合葬墓の特徴は、追悼に訪れる多くの人がメトロの切符を置いていくことです。白い紙片でほとんど覆われています。哀悼の意を表したいのに花束を買えなかったときは、メトロの切符をそっと置いていくだけでも弔意を示せます。なぜメトロの切符を残すようになったのかは分かっておらず、さまざまな説があります。サルトルとボーヴォワールの墓のほかに、ゲンスブールの墓にも多くの人がメトロの切符を置いていきます。ゲンスブールの場合は、1959年の初期のヒット曲のひとつで、メトロの職員を歌った『リラの門の切符切り』のためだといわれています。

