パリの墓地めぐり · 3/12

パリ · 街歩き

オスカー・ワイルドの墓

パリ · パリ, フランス

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ペール・ラシェーズで最もよく耳にする質問は、おそらく「オスカー・ワイルドのお墓はどこですか」でしょう。園内でもとりわけ人気のあるこのアイルランドの劇作家の墓は、現在、ガラスの壁に囲まれています。

ワイルドは「芸術のための芸術」を掲げる唯美主義を志した、自意識の強い実力派の作家で、『ドリアン・グレイの肖像』『幸福な王子』『サロメ』といった作品を残しました。「青春は一つの芸術である」「若いころは人生で一番大切なのはお金だと思っていたが、年を重ねてみると本当にそのとおりだった」「宗教における真理とは、生き残った意見のことにすぎない」など、物議を醸す機知に富んだ発言でも知られ、存命中から常に世間の噂の的でした。イギリスで活躍していたワイルドは、同性愛の傾向が明るみに出てスキャンダルに巻き込まれると、それを逃れてパリにやって来ます。その前に、若い恋人の父親から訴えられた裁判で敗訴し、2年間の重労働のさなかに転んで耳を痛めていました。パリでその治療のための手術を受けた際に感染症を起こし、髄膜炎のため1900年に早世しました。

1908年、ワイルドの文学上の代理人だったロバート・ロスが、彫刻家ジェイコブ・エプスタインに2,000ポンドを支払い、墓と記念碑の設計を依頼しました。エプスタインはワイルドの「若き王」やスフィンクス、インドやエジプト美術の原初的な官能性に着想を得て、約10か月かけて記念碑を制作します。デザインが議論を呼んだうえ、ワイルドに批判的な人も多く、記念碑の建立そのものに反対する声も少なくありませんでした。そのため、造られた当初から近年まで、最も物議を醸してきた墓とされています。

完成した記念碑の天使、あるいはスフィンクス像は裸体で、1961年に何者かが像の一部をひそかに持ち去っていたことが発覚して大騒ぎになりました。のちに、墓地の管理人が文鎮として使っていたと伝えられていますが、その後は完全に行方が分からなくなり、現在は2000年にマルチメディアアーティストのレオン・ジョンソンが銀で作った代替品が取り付けられています。

ワイルドの墓が有名になった最大の理由は、口紅の跡です。誰が始めたのかは分かりませんが、いつしかファンが口紅をつけて墓に口づけの跡を残すようになり、今では下部が唇の跡でびっしり覆われています。ただ、口紅の成分が墓を傷める恐れがあるとして、2011年に墓全体をガラスの壁で囲み、近づけないようにしました。アイルランドでは自国を代表する作家の墓を国の記念物とみなしており、この墓の管理費はアイルランド政府が負担しています。

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