パリ · 建築
ジャンヌ・ダルクの生涯
パンテオン · パリ, フランス
この壁画は、フランスの画家ジュール・ウジェーヌ・ルヌヴーが描いたジャンヌ・ダルクの生涯です。ジャンヌ・ダルクは、14世紀から15世紀にかけて、イギリスとフランスがなんと116年にわたって戦ったことから「百年戦争」と呼ばれる時代に、フランスを勝利へ導いた女性の英雄です。壁画は、幼いころから最期までの生涯を4つの場面に分けて描いており、右から左へ、ひとつずつ見ていきます。
1枚目は、ジャンヌが戦いに身を投じるきっかけを描いた絵です。画面中央の、裸足で赤いスカートをはいた素朴な田舎の少女が、16歳の羊飼いの少女、ジャンヌ・ダルクです。どこか戸惑ったような表情をしているのは、「フランスを救え」という大天使ミカエル、聖マルガリータ、聖カタリナの声を聞いて驚いているから。幼いころから信仰心の厚かったジャンヌは、この声を聞いて、自分も戦いに加わろうと決意します。当時の百年戦争ではフランスがイギリスに押されており、王太子シャルルは戴冠式も挙げられないまま、シノンという地に逃れていました。ジャンヌはそんなシャルル王太子に、イギリス軍に包囲されたオルレアンを自分が救い出すと誓い、戦いへ向かいます。ここに登場するシャルルは、先ほど見たシャルルマーニュ(シャルル大帝)とは別の人物です。
2枚目は、オルレアンで戦いを率いるジャンヌの姿です。自ら甲冑をまとって兵士を指揮し、その闘志にフランス兵の士気も高まりました。奇跡のようにイギリス軍を打ち破りはじめ、連戦連勝へと導いたジャンヌは、勝利の女神として崇められるようになります。
3枚目は、ジャンヌが立ち会ったシャルル7世の戴冠式の場面です。ランスで行われたこの戴冠式は、ジャンヌのおかげで実現したといえます。戦争中、ランスはイギリス軍に占領されており、戴冠式を開けませんでした。ところがジャンヌが破竹の勢いで勝利を重ね、オルレアンの北にあるランスまで進んでイギリス軍を陥落させます。ジャンヌがランスを取り戻したことで、シャルル王太子は戴冠式を挙げ、シャルル7世として即位しました。
最後の絵は、ルーアンの火刑台に上がるジャンヌの姿です。画面中央で、ジャンヌは縄でがんじがらめに縛られ、薪の上に立っています。戦争の英雄として崇められた彼女が、なぜ火刑台に立つことになったのでしょうか。それはわずか2年のあいだの出来事でした。ジャンヌは19歳の若さでイギリス軍に捕らえられ、異端とされ、魔女の烙印を押されて火あぶりにされました。実際に異端だったわけではなく、ジャンヌを殺すための、でたらめな名目でした。
ジャンヌの死には、シャルル7世による牽制もあったといわれます。勝利の女神のおかげでランスのイギリス軍を陥落させ、戴冠式まで挙げたシャルル7世が、なぜそんなことを、と思うかもしれません。王の立場になって想像してみましょう。一方には、勝利の女神と呼ばれるジャンヌ。もう一方には、王太子から王に推戴されたものの、身を隠してばかりで、戦争で何の手柄も立てられなかった自分。フランスの国民は当然のようにジャンヌを熱烈に愛し、全面的に支持しました。シャルル7世はその様子を見て、ひどく不安になったのです。国民が自分を引きずりおろし、ジャンヌを王位につけるのではないか。そこまで考えたといいます。そのため、パリ奪還を掲げて戦いに出たジャンヌには、いっさいの支援をしませんでした。イギリス軍に押されたジャンヌが捕虜になったあとも、捕虜交換を持ちかけたイギリスの提案に応じず、ジャンヌは火刑に処されたのです。
フランスでジャンヌの存在が大きいのは、国民の愛国心を呼び覚ましたからです。高まった愛国心のおかげで、フランスは王を中心とした中央集権化がいっそう強まり、王権が高まったことは、のちに強大な王権をもつ太陽王ルイ14世が誕生する背景にもなりました。ジャンヌは1920年、カトリック教会によって聖女に列せられています。



