パンテオン · 23/28

パリ · 建築

ルソーの棺

パンテオン · パリ, フランス

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ルソーもヴォルテールと同じく、18世紀フランスを代表する啓蒙思想家です。棺の正面中央には、松明を掲げた手があります。松明は理性の光と自由の光を象徴していて、理性の光は18世紀の啓蒙主義の精神を、自由の光はフランス革命によって勝ち取られた自由を表しています。ルソーの棺に松明があるのは、ヴォルテールと同じように、ルソーも多くの普通の人々に啓蒙思想を広め、フランス革命に影響を与えたからです。

では、ルソーのどんな思想が人々を革命へと向かわせたのでしょうか。ルソーといえば、「自然に帰れ!」と「社会契約説」が思い浮かびます。まずルソーは、身分制のように人間がつくった法律や制度そのものを批判し、自然状態に立ち返るべきだと説きました。ここでいう自然とは、森や動植物ではなく、人間が不平等な制度をつくる前の状態のことです。私有財産制や奴隷制が生まれる前は、誰もが自由で平等だったのに、制度ができたことで、不自由で不平等な社会になったというわけです。ルソーは、人間がつくったあらゆる法や制度をなくすべきだと言ったのではなく、誰もが自由で平等だった状態に戻るべきだと主張しました。

その解決策が社会契約説です。国家権力は、個人との自由で平等な契約を通じてはじめて個人を正当に支配でき、この契約は個人が自ら同意したときに成立する、という考え方です。したがって国家権力は、投票を通じて市民の意見を自由かつ平等に受け入れなければなりません。つまり、国民主権を唱えたのです。ルソーがこうした主張を盛り込んだ本を出版するやいなや、体制批判的な内容のために逮捕状が出され、彼は亡命の道を歩むことになりました。けれども、ルソーの影響を受けた人々が起こしたフランス革命は、ついに彼の志を実現し、国民主権の共和国を誕生させました。

いまは天の星となったヴォルテールとルソーですが、実は犬猿の仲だったといいます。最初からそうだったわけではありません。ヴォルテールはルソーより18歳年上で、ルソーが学びはじめたころには、すでに他国の王にも認められる著名な知識人でしたから、ルソーにとっては尊敬の対象でした。ところが、ルソーが従来の啓蒙思想家たちとは違う道を歩みはじめると、二人の仲は悪化します。従来の啓蒙思想家たちは、上流階級を批判しながらも、貴族のような上流階級と交わり、支援を受けることもありました。言うことと行いが違うこの矛盾を、ルソーは特権を拒むことで浮き彫りにし、その過程でヴォルテールとの関係も悪くなったのだそうです。

とはいえ、ルソーが完璧だったわけでもありません。彼は、親が子どもを教育するうえでの望ましい方法を説いた教育書を著し、近代教育論の礎を築いた教育思想家としても有名です。当時の貴族の多くは、子どもを自分で育てませんでした。授乳は乳母が担い、息子は学寮(コレージュ)、娘は修道院といったところに預けて教育させたのです。ルソーは、子どもを人為的な場所に送り込んで閉じ込めるように教育するよりも、自然のなかで自由に生きられるよう教育することが、親の神聖な義務だと貴族たちに訴えました。

ところが、ルソー自身は、その教育論を実践しなかったといいます。5人もいた子どもを、全員孤児院に預けてしまったのです。ルソーは亡くなる8年前の1770年に自伝を書き上げ、こうした過ちを自ら告白して悔い改めました。過ちを包み隠さず告白したこの本は、世界三大告白録のひとつともいわれています。

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写真は ウィキメディア・コモンズ より。撮影:Michael Reeve、Rémih、The New York Public Library(CC BY-SA 3.0 / CC BY-SA 4.0)。

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