パリ · 建築
シャルルマーニュと皇帝の戴冠
パンテオン · パリ, フランス
この壁画に描かれているのは、教皇レオ3世がローマのサン・ピエトロ大聖堂で、シャルルマーニュに西ローマ帝国の皇帝の冠を授ける場面です。シャルルマーニュは、フランク王国のメロヴィング朝を継いで誕生したカロリング朝の王でした。
シャルルマーニュは、ヨーロッパ史上もっとも重要な人物のひとりで、「ヨーロッパの父」とまで呼ばれています。神聖ローマ帝国の始祖とされることに加え、フランス、ドイツ、イタリアといった西ヨーロッパの主要国が、フランク王国の分裂によって生まれた西フランクや東フランクなどの系譜を受け継いでいるためです。そのため、フランスやドイツでは、シャルルマーニュを自国の初代の王のように捉えることもあります。ヨーロッパの多くの国に影響を与えた人物だけに、呼び名も国ごとに異なります。フランスではシャルルマーニュ、イタリアではカルロ・マーニョ、英語圏ではチャールズにあたる名で呼ばれます。
では、なぜ教皇はシャルルマーニュに皇帝の冠を授けたのでしょうか。当時のローマは東西に分かれており、強大な東ローマに対して、西ローマはすでに滅亡し、教皇の力も地に落ちていました。一方のシャルルマーニュは、西ローマがかつて支配した領土を次々に手中に収めていた強力な王でした。教皇には、弱まった宗教的権威を立て直すために、シャルルマーニュという存在が必要だったのです。それまでの教皇は、皇帝を任命する立場ではなく、むしろ皇帝から任命される立場でした。この戴冠によって、教皇もまた皇帝を任命し、承認する存在であることを示せたのです。
ただ、そうした狙いがあったレオ3世は、フランク王に対してどうしても低姿勢にならざるをえませんでした。これを快く思わなかった教皇の周辺の人々が、レオ3世の暗殺を企てます。身の危険を感じたレオ3世が助けを求めると、シャルルマーニュはこれをもうひとつの好機と捉えたことでしょう。ローマに赴き、教皇を殺そうとした反対派を捕らえて裁判にかけたのです。王の力で教皇を守ったということになります。
そこで用意されていたサプライズが、戴冠式でした。シャルルマーニュは、皇帝の冠を受けにサン・ピエトロ大聖堂へ行ったわけではありません。クリスマスの日にミサに参列しに行っただけでした。ところが、レオ3世は事前の相談もなく、シャルルマーニュに西ローマ帝国の皇帝の冠をかぶせ、ローマ皇帝に任命する形をとったのです。引き続きシャルルマーニュの庇護のもとで権威を保ちたかった教皇が、急いで仕立てたイベントでした。以来、シャルルマーニュは皇帝と呼ばれるようになり、教皇が皇帝を承認するというこの象徴的な戴冠の儀式は、ひとつの慣例として定着していきます。
シャルルマーニュはこのときから神聖ローマ帝国の初代皇帝として、いっそう大きな力を振るうことになり、教皇にとってもシャルルマーニュにとっても、互いに得るものの大きい結果となりました。


