モンマルトル · 4/15

パリ · 街歩き

ピカソの青の時代とバラ色の時代

モンマルトル · パリ, フランス

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1881年、スペインで一人の子どもが生まれました。パブロ・ピカソです。画家であり教師でもあった父の影響で、幼い頃から絵を描いていました。学校の勉強は卒業が危ぶまれるほど苦手でしたが、美術では際立った才能を見せ、14歳でバルセロナの王立美術学校に入学します。ただ、そこでも馴染むのは簡単ではありませんでした。

1900年、19歳のピカソは、ルノワールやトゥールーズ=ロートレックらフランスの画家たちに魅了されてパリを訪れ、翌年にはモンマルトルに滞在して懸命に絵を描きました。しかし、華やかな芸術の都の裏側には、物乞いや浮浪者、貧困と悲惨さがあふれていました。寒い街でフランス語も話せない孤独に耐えていた彼は、この街の裏側で惨めに暮らす物乞いや貧しい家族を絵の題材にしました。そんなとき、苦楽をともにした親友カルロスの悲しい訃報を受け、深い衝撃を受けた彼は、いっそう憂鬱で孤独な絵を描くようになります。この時期の絵は悲しげな青に満ちており、「青の時代」と呼ばれています。

寒い冬が過ぎ、春が訪れました。1904年、ピカソは運命の女性、フェルナンド・オリヴィエと出会います。オリヴィエは、暴力をふるう夫のもとから逃れてパリに移り住んできたところでした。女性遍歴で有名なピカソでしたが、オリヴィエとは7年にわたって愛を育みました。彼女を描いた絵には、ピンク、黄色、オレンジといった暖かい色が現れ、この時期は「バラ色の時代」と呼ばれています。

オリヴィエとともに憂鬱な時期を乗り越えたピカソは、大作『アヴィニョンの娘たち』を生み出します。それまでの絵が、正面なら正面、側面なら側面というように一つの視点から描かれていたのに対し、この作品では、左から2番目の女性の目は正面を向いているのに鼻は横を向いているなど、複数の視点を混ぜ合わせ、断片化したように描かれています。キュビスムに新たな一歩を刻んだこの作品で、ピカソは注目を集め、最高の画家への道を歩み始めました。しかし有名になるにつれて、オリヴィエへの関心は薄れていき、度重なる口論の末に、二人は7年の恋に幕を下ろします。

その後ピカソは、シュルレアリスム的な写真で注目されていた写真家ドラ・マールの知的な魅力に惹かれ、恋に落ちます。彼女とともに、戦争の苦しみと混沌を表現した『ゲルニカ』など、社会的メッセージを込めた作品を描き、ドラ・マールをモデルに代表作『泣く女』も生み出しました。ピカソは「私にとって彼女は泣く女だ。ただ、私が感じた彼女の幻影を描いただけだ」と、そう表現した理由を語っています。ただし、ピカソがあまりに浮気を重ねるので、ドラ・マールが毎日泣いていて、それで肖像画を泣く女の姿にした、という逸話も伝えられています。

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写真は ウィキメディア・コモンズ より。撮影:Zairon(CC BY-SA 4.0)。

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