ゴッホのオーヴェル=シュル=オワーズ · 2/12

パリ · 絵画

ゴッホはなぜオーヴェルへ来たのか

オーヴェル=シュル=オワーズ · パリ, フランス

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ゴッホは、どのような道のりをたどってオーヴェル=シュル=オワーズへやって来たのでしょうか。37年の生涯で、フィンセント・ファン・ゴッホは4か国で38か所もの住所を転々としました。フロート・ズンデルト、ハーグ、アムステルダム、ニューネン、ブリュッセル、アントワープ、ロンドン、ラムズゲート、パリ、アルル、サン=レミ、そしてオーヴェル=シュル=オワーズ。そのどこでも、今日、彼の足跡を難なく見つけることができます。ただ、ゴッホが住まいに残したものは多くありません。せいぜい画材と数冊の本、わずかな家具程度でした。安定した暮らしを望みながらも叶わず、あちこちを渡り歩いたのです。

33歳までは家族とともに過ごした時代といえるでしょう。34歳になった1886年からは、フランスでひとり暮らしを始め、ほかの画家たちと同じようにカフェや食堂、キャバレーを渡り歩き、安い宿を求めて転々としました。オーヴェル=シュル=オワーズにあるゴッホの家を見れば、その暮らしぶりがうかがえます。1880年代、弟のテオはパリで影響力のある画商としての地位を築き、1886年にゴッホをモンマルトルへ呼び寄せました。ゴッホはここで前衛の時代の多くの画家たちと交わり、美術への見識を広げていきます。この時期の代表作に「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」があります。

1888年、テオの熱心な勧めでゴッホはアルルへ移ります。ここで人物画と風景画に彼ならではの画風が確立し始め、「黄色い家」や「ローヌ川の星月夜」などが描かれました。精神疾患のためゴーギャンと争ったあと、自ら耳を切り落とし、治療を受けたアルルの病院は、今では観光名所になっています。治療から1年後、ゴッホはプロヴァンスのサン=レミに移り住み、ここから光が分かれて見えるような風景画が始まりました。あまり知られていない話ですが、アルルの住民たちの反対にあって、アルルにとどまれなくなり、サン=レミへ移らざるをえなかったともいわれています。

1890年5月20日、ゴッホはやはりテオの勧めで、静かな印象派の画家たちの拠点だったオーヴェル=シュル=オワーズにやって来ました。サン=レミでの休養で活力を取り戻し、弟への借りを返したいという思いもあって、最後の70日間は毎日1点以上の絵を描き続けました。80点以上を描けた理由のひとつが、ガシェ医師の気づかいです。医師でありながら自らも絵筆をとったガシェは、テオに頼まれ、ゴッホを精神面から支えました。多くの文献では、ゴッホは野生動物のようで、気難しく、アルコール依存でヒステリックな人物として描かれていますが、ここでだけは、弟への借りを返そうと懸命に絵を描き、友人を買って出たガシェ医師の言葉にも耳を傾けながら、自分だけの絵を描き続けたのです。ラヴー旅館では1日1フランの宿代で暮らしていましたが、オーヴェルでは心だけは満たされており、人生の最後のころまで弟に画材を注文していたほど、創作への意欲を失っていなかったと伝えられています。

ゴッホは1890年7月29日、37歳でその生涯を閉じました。その死をめぐっては、さまざまな話が語り継がれています。それでも、彼が遺した絵は、世に背を向けることはありませんでした。

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