パリ · 絵画
オーヴェルを訪れた三人の巨匠
オーヴェル=シュル=オワーズ · パリ, フランス
オーヴェル=シュル=オワーズを訪れた偉大な画家たちのうち、ゴッホを除いて挙げるなら、ドービニー、ピサロ、ポール・セザンヌの3人をおすすめします。このほかにも数多くの画家がこの地を通り過ぎましたが、この3人は19世紀の美術史を牽引した巨匠たちですので、簡単にご紹介します。
ドービニーは、先ほどご紹介した人物です。写実主義の本拠地バルビゾンで活動した彼には、風景画家という呼び名がふさわしいでしょう。やはり風景画家だった父エドメ・フランソワに絵を習い始め、イタリアで1年間、昔の巨匠たちの作品を学んだのち、パリに戻ってドラロッシュに師事し、歴史的・宗教的な主題の絵を描きました。しかし、まもなくバルビゾン派の画家たちの絵に魅了され、自然を描いていたコローと出会ってからは、はっきりと自然主義の画風へと転換しました。彼は戸外で自然と直接向き合って制作することをとても好みました。最小限の構成をもとに、色調の明暗を厳密に観察して描き、その画風は抑制がきき、穏やかで素朴です。自然を少しも美化せず理想化せず、見えるままに描きながらも、自然への深い愛情から、繊細な光と澄んだ空気に満ちた作品を残しました。刻々と変わる自然の美しさを敏感にとらえ、幻想的に表現し、対象に反射する光を描く技法は、風景が与える瞬間的な印象を表すのに申し分ないものでした。とりわけ水辺の風景を得意とし、一日中湖にボートを浮かべて制作したおかげで、時々刻々と移ろう光を画面に写し取ることができたのです。こうして彼は印象派の先駆者となり、コローの自然主義と、モネやシスレーらの印象主義をつなぐ画家と評価されています。
次に紹介するカミーユ・ピサロは、少しなじみの薄い名前かもしれません。クールベの影響を受けて写実主義から出発し、風景画の巨匠となりました。モネやシスレーといった若い印象派の画家たちと絶えず交流し、印象派の展覧会にも参加しました。印象派の中でいちばん年長だった彼は、セザンヌやゴーギャンといった後輩の画家たちにも影響を与え、印象派を導く役割を果たしました。若い印象派の画家たちはピサロを父のように慕い、とりわけ今日「近代絵画の父」と評されるセザンヌは、優しく懐の深い人柄のピサロをとても慕っていました。のちにピサロの息子が遺した回想録によれば、セザンヌはピサロに会うため、毎日数キロの道のりを歩いてきたといいます。現存するピサロの作品は、ほとんどが風景画といえるほど、風景画を数多く残しました。のどかな田舎や素朴な自然を背景にした風景はもちろん、にぎやかなパリの都市風景も数多く描いています。ピサロの作品がとりわけ素朴で温かく感じられるのは、光の効果に着目した印象派ならではの技法に忠実だったからです。ほかの印象派の画家と比べると知名度は劣りますが、もっとも印象派らしい絵を描いた画家、それがピサロです。
最後はポール・セザンヌです。彼は裕福な家に生まれ、父の意向で法科大学に入学しました。けれども、幼いころから美術に関心を抱いていたセザンヌは、法科大学になじめず中退し、本格的に美術を学び始めます。画家としての道のりは決して平坦ではありませんでした。初期は印象派の影響を受け、光と色の調和を生かした写実的な絵を描きましたが、しだいに印象派から離れて独自の作品世界を築いていきました。彼は「自然のすべては、球と円錐、円筒でできている。私たちはこうした単純な図形で絵を描く方法を学ばなければならない」と語ったといいます。セザンヌは、絵画で伝統的に重んじられてきた明暗や遠近法を、さほど重視しませんでした。代わりに、物の形を球や円錐、円筒などに単純化して表し、とくに画面全体の構図のバランスをとることに力を注ぎました。こうした手法は、当時としては非常に画期的なものでした。20世紀に入るとピカソをはじめ数多くの画家がセザンヌの作品を研究し始め、その結果、キュビスムや抽象絵画といった新しい現代美術が生まれました。そのため、セザンヌは「近代絵画の父」と呼ばれているのです。


