モンマルトル · 1/15

パリ · 街歩き

殉教者の丘、モンマルトルの二つの名前の由来

モンマルトル · パリ, フランス

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パリでほぼ唯一の丘であるモンマルトル。その名前には二つの由来が伝えられています。「モン(Mont)」はフランス語で丘や山を意味し、一つ目の説は、ギリシャ・ローマ神話の戦の神マルスの丘という意味からモンマルトルと呼ばれるようになったというものです。二つ目の説は、殉教者を意味する「マルティール(martyr)」と「モン」が合わさり、「殉教者の丘」になったというものです。

250年代、ローマの支配下にあったフランスで、聖ドニがカトリックを広めました。皇帝を中心に強力な統治を行っていたローマにとって、彼は目の上のたんこぶでした。そして、ここモンマルトルで斬首されたのです。伝説によれば、聖人は切り落とされた自らの頭を抱えて約7キロ歩き、その場所に身を横たえたといいます。人々は彼を偲んでその地にサン・ドニ聖堂を建て、以来この丘は「殉教者の丘」、モンマルトルと呼ばれるようになりました。モンマルトルの教会や公園のあちこちで、切られた頭を抱えた男性の像を見かけますが、これが聖ドニを表した像です。

では、ゴッホやピカソといった芸術家たちは、なぜこの殉教者の丘に集まってきたのでしょうか。答えは19世紀半ばにあります。当時のパリ市長ジョルジュ・オスマンは、革命や戦争で荒れた都市を整え、パリを世界で最も美しい首都にしようと考え、道路を新設し、立派な建物を建てて街を生まれ変わらせました。しかし、モンマルトルはこの都市計画から外れ、古い道路や治安の悪さがそのまま残りました。

オスマンは、整備された街を披露するために万国博覧会を開いて外国人をパリに招き、約45年後にもう一度盛大な万博を開いて、珍しい海外の品々や進歩したフランスの技術を紹介しました。こうしてパリは美しく発展した都市というイメージを得て、腕を磨こうとする芸術家たちが集まってきます。ところが、大都市パリはお金のない外国人芸術家には物価の高すぎる街でした。

そこで芸術家たちは、都市計画から外れて家賃が比較的安く、お酒にかかる税金(酒税)も低いモンマルトルへ、一人、また一人と集まっていきます。ここでお酒と音楽を楽しみながら作品を生み出した人々こそ、このツアーでこれから出会うピカソ、ゴッホ、マティス、ルノワールなのです。

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写真は ウィキメディア・コモンズ より。撮影:Zairon(CC BY-SA 4.0)。

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