パリ · 絵画
嘲笑から生まれた名前、印象派
ジヴェルニー · パリ, フランス
サロンで酷評され、お金も稼げず、認められることもなかった印象派の画家たちは、どのようにして今のように有名になったのでしょうか。サロンから見向きもされなかった無名の画家たちは、「誰かに評価されるのではなく、自分たちが描きたい絵を描いて、自分たちだけの展覧会を開こう」と意気投合します。名もなき画家たちの展覧会でしたが、顔ぶれはクロード・モネ、ピエール=オーギュスト・ルノワール、エドガー・ドガ、ポール・セザンヌといった印象派の巨匠たち。オルセー美術館に匹敵する展覧会だったといっても、言いすぎではないでしょう。
モネがこの展覧会に出品したのが『印象、日の出』です。青い海の上に赤い太陽が燃えている作品です。モネは故郷のル・アーヴルで、日の出の時刻に合わせて何度も足を運び、この絵を描いたといわれています。この作品について、モネが残したと伝えられる言葉があり、彼がなぜ「光の画家」と呼ばれるのかをよく物語っています。「光は私のミューズだった。毎朝、太陽は昇り、日の光は一瞬一瞬が独特だった。その朝も、あの瞬間を描くために飛び起きた。光は絶えず変化するから、日が昇るまさにその瞬間に描かなければならない。それは時間との闘いだった。ほんのわずかな光の変化や刻々と移ろう色調は、アトリエに戻って記憶で描けるものではなかった。揺れる波をすばやく下地に薄く置き、空と桟橋、波、無数の影のある風景を、速く短い筆づかいで描いた。船のマストと光に染まる港の姿を描いてから、激しく燃える赤い太陽の心臓を打ち込んだ」。日の出の瞬間をとらえるために、すばやい筆さばきで光の動きを写し取った作品、それが『印象、日の出』です。
では、この作品をはじめ数多くの印象派の作品が並んだ展覧会の結果は、どうだったのでしょうか。結果は、大失敗でした。「これが絵なのか」「描きかけの絵だ」といった酷評が相次ぎ、ある美術評論家はこう言いました。「『印象、日の出』とは、実に印象的だ。壁紙の装飾のほうが、この絵よりよほど完成度が高い」。作品のタイトルを皮肉った言葉でした。さらに評論家は、絵も満足に描けないのに作品と称して出品しているこの画家たちをひとまとめにして、「印象主義」「印象派」と呼んで非難しました。
ところが画家たちは、この言葉を受け入れ、自分たちでも使い始めます。自分たちを呼ぶ名前がなかったからです。今では、モネ、マネ、ルノワール、ドガといった画家たちを当たり前のように印象派と呼びますが、当時は適当な呼び名がありませんでした。モネの『印象、日の出』を皮肉って付けられた名前が、そのまま今日まで受け継がれていることになります。この展覧会はもちろん不評に終わりました。当時の人々は、このような新しい絵画を受け入れる準備ができていなかったのです。印象派は、何かのきっかけで一気に認められたというより、時代の移り変わりとともに少しずつ評価されるようになっていきました。

