パリ · 建築
2階で知る、凱旋門の始まりから完成まで
凱旋門 · パリ, フランス
凱旋門上部の2階です。テラスへ続く階段、ミュージアムショップ、エトワール凱旋門の歴史展示と関連映像があります。両側のアーチの壁面には、凱旋門にまつわる大切な言葉が記されています。中央に椅子があるので、空いていれば座ってゆっくりお聞きください。
まずは、大きなスクリーン側の壁の上部にある一文です。「1806年、フランス軍の栄光をたたえるために建てられた。長らく工事が中断されたのち、1823年から再開され、1836年の夏、ルイ=フィリップ1世によってフランス軍のために完成した」。凱旋門の建設の歴史を伝えています。今の姿は、最初から完璧に計画されていたわけではなく、時を経るなかで装飾やレリーフが加えられて完成しました。時代の状況によって、凱旋門の意味合いも変わっていったのです。
ナポレオンが失脚し、エルバ島とセント・ヘレナ島に流されたあと、1815年から1830年までは王家が復活し、ブルボン朝が成立します。凱旋門はナポレオンとフランス革命軍のための記念碑だったため、ブルボン朝にとっては政治的に相いれない存在でした。そのため、この期間は工事が長く中断されたり、遅々として進まなかったりしました。ルイ18世とシャルル10世が在位したブルボン朝の時代には、凱旋門は別の解釈をされ、むしろ王をたたえる記念碑へと意味が変わりました。
その後、1833年から「市民王」と呼ばれたルイ=フィリップ1世のもとで工事が再開され、1836年に完成します。このとき、建設の趣旨と意味は、再びナポレオンとフランス革命軍のためのものに戻りました。現在のようなレリーフや彫刻の大半が刻まれたのも、この時期です。
反対側の壁には、第一次世界大戦のフランス兵の彫像と、世界大戦で犠牲になった世界中の無名戦士をたたえるという言葉があります。この言葉がここにあるのは、凱旋門が本来はフランス革命軍とナポレオン戦争をたたえるために建てられたものの、第一次世界大戦後、フランスのために犠牲となった兵士たちへと意味が広がったからです。ここでは、第一次世界大戦の休戦記念日である11月11日に、戦争犠牲者のための追悼式が毎年行われます。
2階の見学を終えたら、いよいよ最後のハイライト、テラスへ上がりましょう。ミュージアムショップの向かい、大型スクリーンの左側の階段を使ってください。

