バルザック像
今ご覧いただいている作品は、ロダンが制作した《バルザック》です。
バルザックは、日本ではあまり馴染みがないかもしれませんが、フランスを代表する作家の一人です。
この作品は、当時フランス文芸家協会の会長を務めていたエミール・ゾラから、バルザックの記念碑制作を依頼されて制作されました。
ロダンはこの作品のために、四年間の事前調査を含め、実に七年もの歳月を費やしました。
その間、ロダンはバルザックの顔や体格だけでなく、生活習慣に至るまで徹底的に調査しました。
例えば、バルザックが執筆の際にいつも着ていた実際のガウンから石膏型を取ることまでしています。
さらに、バルザックの故郷を訪れた際、偶然バルザックによく似た人物を見つけ、その人物をモデルに顔を制作したほど、この作品に情熱を注いでいました。
こうして完成したのが、今ご覧いただいているこの作品です。
正確に言えば、現在ご覧いただいているブロンズ像はロダンの死後に鋳造されたものです。
ロダンが完成させたのは、このブロンズ像のもととなる石膏原型でした。
しかし、この作品を見たフランス文芸家協会の人々は、感動するどころか、大きな失望を抱きました。
というのも、協会が求めていたのは偉人らしい堂々とした記念碑でしたが、ロダンが制作したのは、あまりにも写実的なバルザック像だったからです。
協会は、フランスを代表する文豪であるバルザックを英雄のように表現した記念碑を期待していました。しかし、ロダンが完成させたのは、どこかふくよかで、一般的な「偉人像」とはかけ離れた印象の彫刻だったのです。
ひひょうかたちはこの作品を、「雨に濡れた塩の塊」や「溶けかけたろうそく」などと酷評しました。
実際のバルザックも、この彫刻のようにふくよかな体格の人物でした。
つまり、ロダンはバルザック本来の姿を、できる限り写実的に表現したのです。
しかし、このような表現は当時としてはあまりにも革新的だったため、多くの批判を受けることになりました。
ロダンが目指していたのは、美しく理想化された偽りの姿ではなく、人々がありのままのバルザックを見つめ、その内面にある価値を感じ取ることだったのです。
実際、天才の考えを、その時代の人々がすぐに理解するのは簡単なことではありません。
現代を生きる私たちも、内面より外見に目を奪われることが少なくありません。そう考えると、当時の人々がこの作品を受け入れられなかった理由も十分に理解できるのではないでしょうか。
結局、この作品はフランス文芸家協会に受け取りを拒否されてしまいました。
その後もロダンのアトリエに保管され続け、ロダンの死後になってからブロンズ像として鋳造されました。
そして時が流れ、人々はようやくロダンがこの作品に込めた思いを理解するようになります。
現在では、《ばるざっく》はロダンを代表する傑作の一つとして高く評価されています。
それでは、ゆっくりご鑑賞いただき、ご覧になりましたら次の作品へ移動しましょう。