ピアノを弾く少女たち
今ご覧いただいている作品は、ルノワールが描いた《ピアノに寄る少女たち》という作品です。
この作品も、ルノワールの晩年にあたる時期に描かれた作品です。
"先ほどご説明した《都会のダンス》《田舎のダンス》の作品でもお話ししたように、ルノワールはローマ旅行で古典主義から大きな影響を受けました。
そのため、この作品には、ルノワールの初期作品に見られるような印象派らしい特徴は、ほとんど残っていません。
それでは、絵を見ながら詳しく説明していきましょう。
絵をご覧いただくと、二人の少女が明るい笑顔を浮かべながら、楽しそうにピアノを演奏している様子が描かれています。
当時、ピアノは裕福な家庭を象徴するものだったため、この家が裕福な家庭であったことが分かります。
この家は、ルノワールの友人であるアンリ・ルロルの邸宅です。
この二人の少女は、アンリ・ルロルの二人の娘です。
週末に友人の家を訪れた際に見た、パリの裕福な家庭の日常のひとコマを、ルノワールがキャンバスに見事に描き出した作品といえるでしょう。
絵の色彩も、パステル調のやわらかな色合いで、とても明るく華やかな雰囲気を感じられます。
このように美しく明るい作品とは対照的に、この作品を描いていた頃のルノワールは、リウマチ性関節炎が悪化し、筆を手で握ることさえ難しいほど大きな痛みに苦しんでいました。
それでもルノワールは、指の間に筆を挟み、紐で固定した状態で絵を描き続けました。
ルノワールの晩年の作品は、すべて彼が痛みと闘いながら描き上げた作品といえるでしょう。あまりにも苦しそうに絵を描くルノワールの姿を見た友人の一人が、なぜそこまでして絵を描くのかと尋ねました。
するとルノワールは、「痛みはやがて過ぎ去るが、美は残る」と、この有名な言葉を残しました。
このようなルノワールの努力があったからこそ、私たちは今こうして美しい作品を楽しむことができるのです。
この作品には、今お話しした理由以外にも、もう一つ特別な理由があります。
もう一つの理由は、フランスで最初の国立近代美術館であるリュクサンブール美術館から、作品の制作を依頼されたことです。
これはルノワールにとって、非常に大きな出来事でした。
なぜなら、ルノワールは最初から絵画を専門的に学んでいた画家ではなく、もともとは陶器職人として芸術の世界に入った人物だったからです。
そのため、アカデミーやサロンでは、なかなか高い評価を受けることができませんでした。
まさか国立美術館から声がかかるとは、本人も思いもよらなかったことでしょう。
だからこそ、ルノワールは持てる力をすべて注ぎ、この作品を描き上げました。
どの作品を購入するか分からなかったため、ルノワールはこの作品とほとんど同じ構図でありながら、少しずつ雰囲気を変えた作品を、全部で6点描きました。
その中の一つが選ばれ、当時のフランス通貨で4千フランという金額で、リュクサンブール美術館に収蔵されることになりました。
それが、今私たちが目の前で見ているこの作品です。
4千フランという金額が当時どれほど大きかったかというと、ルノワールはそのお金で、パリから車で2時間40分ほど離れたエスソワという場所に一軒の家を購入することができました。
すごいことですよね。
そして、この時期に描かれた残りの作品のうち、一点は現在パリのオランジュリー美術館に所蔵されています。
もう一点は、ニューヨークのメトロポリタン美術館に所蔵されています。
そして、残りの作品は個人コレクターによって所蔵されています。
残る二点は、オランジュリー美術館とメトロポリタン美術館にあります。
私は、今ご覧いただいているこの作品が一番好きなのですが、皆さんは三点の作品の中で、どの作品が一番お気に入りですか?
なぜその作品を選ばれたのか、その理由もぜひ聞いてみたいですね。
コミュニケーションをご希望される方は、この作品のトラックにあるコメント欄にぜひコメントを残してください。
ご覧いただいた方は、私と一緒に次の作品へ移動していきましょう。