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ハンムラビ法典

バビロニア ルーヴル美術館 リシュリュー翼, 部屋 227

ハンムラビ法典 — バビロニア

さあ、これが、あの有名なハンムラビ法典です。

このハンムラビ法典について、よくある二つの誤解があります。

まず一つ目。 「法典」と聞くと、本のようなものを想像しますよね。

でも、ご覧のとおり、これは本ではなく、 石に刻まれた石碑なんです。

そして二つ目。ハンムラビ法典は「世界最古の法典」と思われがちなんですが、実は世界で最初の法典は、別に「ウル・ナンム法典」というものがあります。

今日ここで本物のハンムラビ法典をご覧になったので、この二つはぜひ覚えておいてくださいね。

では、少し近づいて見ていきましょう。

このハンムラビ法典が作られたのは、今から約3800年前。バビロニア第1王朝、第6代の王であるハンムラビ王が、国がどんどん大きくなり、統治する人々の数も増えたため、効率よく治めるため、この法典を作ったんです。

石碑の上の部分を見てみると、二人の男性が彫刻されているのが見えますよね。

左側で祈っている人物が、ハンムラビ王です。 そして椅子に座ってその祈りを受けているのが、太陽神シャマシュです。

シャマシュの両肩から、上がっている煙のようなものは太陽の熱で、

手には一本の杖を持っていますよね。

これは、強い指導者の象徴です。

「太陽神がハンムラビに王の権威を授けている」 そんな場面が表現されています。

つまり、王は神の代わりとして統治する存在だ、という意味なんですね。

さて、その下を見てみると、細かい文字が刻まれています。

これは「くさびがたもじ」と呼ばれる文字です。

少し見えにくければ、ぜひ近づいて見てみてください。

皆さんには、この文字、どう見えますか?

ちょっと絵のようにも、漢字のようにも見えませんか?

この楔形文字は、もともと絵文字のような形から始まったのです。

楔形文字も最初は、 太陽、月、星、鳥、魚など、 絵の形だったのが後に、 音を表す文字へと変わっていきました。

このハンムラビ法典の文字が最初に解読されたのは1802年で、ドイツのグローテフェントという中学校の先生が、 友人とのちょっとした賭けをきっかけに、解読の手がかりを見つけました。

その後、多くの学者たちが研究を重ね、 現在ではほぼすべての内容が解読されています。

この石碑には、全部で282個の法律が刻まれています。

この法を一言で表すと、「目には目を、歯には歯を」です。この法典では初めに王が自身を紹介して、なぜ法を作ったのか書かれていますが、自身を「バビロンの太陽であり、全能な王だ」と紹介します。

面白いのが、エジプトのファラオも自身を「ラ」という太陽神として呼び、

ルイ14世も自分を太陽神と呼びましたよね。

このように昔から太陽は強力な王を表す手段だったのですが、その始まりがメソポタミア文明だと言えますね。

そのあとの本文に「目には目を、歯には歯を」のような報復法が記されています。

そのうちいくつかを紹介すると、まず第22条。

「盗みを働いた者は死刑」という内容があります。

第195条には、「もし子供が父親を叩いたら子供の手を切る」

昔もこのような問題があったようですね。

さらに、第196条と第200条には

「もし自由民が自由民の目を傷つけたなら、その者の目もまた傷つけられる」「もし自由民が自由民の歯を折ったなら、その者の歯も同じように折られる」と記されています。

私たちが知っている「目には目を、歯には歯を」がここに記されています。

法律の中に「自由民」という言葉が出てきますよね。

この自由民は、貴族など身分の高い人を指します。

自由でない人は奴隷という意味です。

例えば、主人が奴隷の歯を折ったとしても、 同じように主人の歯を折るわけではなく、治療費などで補償する形になります。

こうした内容から、当時は身分による不平等が当たり前の社会だったことが分かります。

また、メソポタミアは商業がとても発達していた地域だったため、「証人や契約書なしで取引をした者は、盗人とみなして死刑」つまり、取引は必ず記録を残さなければならないということで、お金や商売には、かなり厳しかったんですね。

最後に、少しユニークな法律もご紹介すると「もし酒屋の主人がビールに水を混ぜて売った場合、 その主人を酒樽に入れ、ビールを注いで溺れさせる」というような、少し驚くような内容も書かれています。

さて、これでハンムラビ法典の説明はここまでです。

写真を撮りたい方は、どうぞ。準備ができたら、次の場所へ移動しましょう。

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